時間がない。時間が足りぬは工夫が足りぬ。御説ごもっともだが、計算してみるとやはり時間がない。
平均寿命がざっと80歳。自分は150歳くらいまで生きるつもりではいるが、ついうっかり平均値に迎合してしまうこともありうる。そうなると現在で30 年とかなり生きているから、残り時間は約40年だ。今後も睡眠時間を削るつもりは毛頭ないので、40年のうち3分の1は眠らねばならぬ。残り時間は実質 26年。今まで生きてきた時間よりずっと短いのだ。
若いころは時間が過ぎるのがゆっくりだったが、現在は一日もあっというま。つまりこれからの26年の体感時間ははかなり短いと予想される。これがあせらずにおられようか。
だから一瞬一瞬を大切に生きるの、と目を輝かせつつ実行できるかといえばさにあらず。だらだらとのたのたと無駄に時間をつぶしたりする。
無為な時間もそれが楽しかったという記憶があればよい。そんな印象がなくても、ぐたぐたと過ごしたことを後から懐かしく振り返ることができるのならいい だろう。現在形でも過去形でも、楽しい楽しかったと思えるのなら、それは無駄な時間ではないと信じる。だから、時間がたりないと言いつつもわたしの生活は 何も変わらない。ほとんどの時間が無駄ではないと肯定してしまっているので。これをすなわち「無駄に」ポジティブという。もうすこし有意義で生産的な暮ら しをしてもいいと心の隅で主張していないこともないが。
しかし、しかしだ。いくら無意味な時間などほとんどないと肯定しても、このゴールがどんどん近づく余裕のないなかで。
魚はまぶたがないのに、どうしてドライアイにならないのだろう。
と真剣に考えていた5分間は、どう考えても無駄だった。
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