子どものころに読んだ偉人の伝記にこんな描写があった。
光は身体のどこで感じるのか疑問に思った少年時代の偉人。陽光の降り注ぐ芝生に寝転んで目を閉じた。温かさはあるが光は感じない。目を開けてみる。眩しい光が飛び込んできた。光は目で感じているのだと少年は知る。
誰もが当たり前に思っていることをきちんと検証する。偉人のあり方を示すエピソードだった。
それはさておき、現代のわたしの話である。
耳たぶにちょっとした怪我をしてガーゼを当てねばならなくなった。耳たぶだけでは固定できないので耳全体に絆創膏を貼ることになる。耳の穴の上もテープで塞がれた。きっちり蓋をしているわけではないので音は十分に聞こえる。
我ながら驚いたのだが自分はこの状態だと、少しばかり味がわからなくなるのだ。判別できないというより味覚に集中できないと表現するべきか。そういえば普段から、料理の味見は音楽を聴いているイヤホンをはずさないと失敗する。
つまり自分が上述の偉人だったら、味を感じるのは舌と耳だと確信し、世間に理解されぬその研究に一生を捧げていたかもしれない。
凡人で良かった。
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