ベンチに座ってちょうど見えるところに蟻の巣があった。しばし観察。
敷石の間から覗いた土に穴があり、せわしなく蟻が出入りしている。蟻は実は一日のうちほとんどを無意味に歩き回ることで費やしているらしいが、小さいも のはそれだけでけなげに思える。わたしももうちょっと縦幅とかものすごく横幅とかが小さければ今ほどふてぶてしくは見えないに違いない。
わたしの景色を見るときの遊びに「幽体離脱ごっこ」がある。何のことはない。今見ている景色の何かの視点になって、そのものから今の景色がどのように見えるか想像するというだけのこと。例えば、高い街灯から今の景色はどう見えるか。川面をすべる水鳥からは。
それを蟻の視点でやってみる。
蟻から見れば、この敷石の公園は荒涼として見えるに違いない。固い地面の荒野。何しろ敷石ひとつの直径が30センチ、蟻が3ミリとして敷石は自分の体の 100倍にもなる。人間の大きさに当てはめると、身長を160センチとして160メートル。それが何枚も何枚も連なっているのだから壮大だ。時折敷石の間 に生えている苔や草はオアシスみたいに感じられるかもしれない。
体長3ミリの視点では、人間などは生き物に見えないかもしれない。自分の530倍の生き物。人間サイズで言えば850メートルの生き物が動き回っているわけだ。それは同じ生き物というより、天災の類だろう。それが往来する場所にある巣で暮らすとはどういうものなのか。
と、このように蟻の視点を楽しむ、想像力豊かなわたしであるが。
朝っぱらからベンチに座って蟻をじっと観察している人間が、他人の視点でどう見えるかには思いが及ばなかったのは不覚であるといわざるを得ない。
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