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マスクをしたまま顔を洗ったが、マスクは水を含んで重みで顔に密着することができなかったのでなんともなかった。
色々なものに安全装置がついている時代なのですね。
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一発芸を思いついたので披露したのだがうけなかった。
洗濯物用の籠をかぶって「虚無僧」。
渾身の作だったのに。
「STOP! 飲酒運転」は飲酒運転撲滅キャンペーンの惹句である。
さて、本日見かけた看板。
「ザ STOP 左右確認!」
確認すればいいのか駄目なのかどっちだ。あと「ザ」は何なんだ。
炊き込みご飯をおかずに白米を食べていたら妙な顔をされた。美味いよ?
最初の放送は20年前である『水戸黄門』の再放送をふとみたら、画面の上下に黒い帯が映っている。昔のテレビで映画を放送したときに出る帯にそっくり だ。さながら映画の横長の画面。おかしい。このころのテレビ番組はもう少し縦横の差が少ないはずだ。再放送にあたってわざわざ映画風に画面を切るはずもな く。
悩みながら見ているうち、疑問は自然に解決した。
それは弥七が天井板のすきまから下を窺っている場面。上下の黒い帯は天井板の影だった。
「庭に何か咲いているね」
「なんとかサクラって言うらしいよ」
「さくら?いや、あれはコブシだろう」
「そうなの?サクラって聞いたんだけどなあ」
「コブシだよ」
確認したら、この地域でコブシザクラと呼んでいる花だとか。
引き分け!
陽はぽかぽか。気持ちはふわふわ。
春はいいことの予感に満ちている。
今朝は茶柱が立っていた。
コーヒーの中に。
断腸の思いで取り除いた。
家族全員同じ型の湯たんぽを使っている。
取り違えないようにとの配慮だろう。義母は自分の湯たんぽにマジックで何か書いているようだ。何とはなしにかすれた文字を読んでみる。
「65才。母のユタンポ」
何故に年齢を。しかも一番最初に。
しかし家長が行っていることだから、それに倣って自分も年齢とともに「嫁のゆたんぽ」と記すべきだろうか。でも現在の年齢を書いたら来年使うときサバを よんでいるみたいで恥ずかしいし。「30代」とか「70年代生まれ」とかにしておくか。「猫だいすき」とか「炭水化物は最高の美味」とかだと個性が主張で きていいかも。自己アピールなら「粗忽者」は外せないが、そもそもそんなことを湯たんぽに書いてまで主張する必要があるのかという問題は常に存在するわけ で。
色々と考えた末、湯たんぽはいまだ無記名。
連日どこかで入学式の話題を聞くので思い出した昔の話。入学式より少し前、春から通う学校の制服をあつらえに行ったときのことだ。
父と顔見知りらしい店員は、にこにこと話しながら手早くわたしのサイズを測る準備をととのえる。
当時の自分は、より正確に言えば当時の自分「も」、あまり体型に自信がなかった。これもまた正しい表現をするならば、実際に標準よりかなり太っていた。そしてそれをコンプレックスに感じていた時期だ。
するすると店員の持ったメジャーがわたしのウエストを回る。「痩せていらっしゃるから、あまり大きいサイズでなくてよろしいと思いますけれど」
いたたまれないほどのお世辞。自分の腹回りがスリムとは程遠いことは、嫌というほど知っている。白々しいことを言わず、黙って採寸してくれればいいのに。
恥ずかしさにうつむいたとき、メジャーの目盛りを読むためにわたしの腰のあたりにあった店員の顔から営業スマイルが消えたのを見た。店員は素の顔でぼそっとつぶやく。
「あら。こんなにあるんですか」
いや。そのご発言は自意識とコンプレックスの塊である思春期の少女を相手にする客商売としていかがなものでしょう。
あまりに率直な発言に困惑すると同時に、自分が実際のサイズよりは多少痩せて見えるらしいことを知って自意識の闇に一筋の光明が差した。
おかげで新しい学校に行くとき、体型のことであまり気後れせずに済んだので、とても感謝している。ただ他の女の子は傷つくかもしれないので、件の店員さんが接客中にぽろりと本音をもらすのはほどほどになさるようにと恩返しのつもりで祈った。
「あー。まだ木曜日か。一週間が長いなあ!」
……真に言いづらいのですが、本日は水曜日です。
ちなみに家人の同僚による発言。「今日は木曜日だと思ってた」。
月曜日の話だとか。
上には上がいる。