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「アマモリ、はやくロボットに変形して!」
無理だと断ったらかなり怒られた。寝言で。連れあい本人は変形できるそうだ。とんでもないものを配偶者にしてしまった。
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あなたのかけらを探して雪の森をさまよう。
ずっと握っていると、離さないと誓った手はいつのまにかからっぽになり。しなやかなあなたの手を包んでいたはずの掌は舞い散る白を受けるばかり。
わたしたちはこの森で笑いあったから、あなたを見つけるのならここ以外にない。モノトーンの森を歩く。きっとどこかに埋もれているあなたのきれいな手を探して。
以上、森で撮影をしたときに、フィギュアの手首パーツを失くした話でした。
とある店舗の窓に「1000円キャッシュバック」とレタリングされた文字が貼られているのだが、換気のために引き違い窓をあけると前半部分が隠れてしまい、「0円キャッシュバック」になっているのがいつも目につく。
何の言及もない店よりも、0円でも「キャッシュバック」とあるほうが人目をひくだろうか。たしかに「カロリー0%オフ」とか「当社比1倍」はちょっとすごそうな気がしないでもないかもしれないということもなくはない。
夜の散歩用装備品リスト(家人用)
パーカー(胸、背中、腕に反射材つき)
帽子
ヘッドライト(帽子の上から着用)
キャップライト(帽子のつばにつけるライト)
反射タスキ
両足首に反射ベルト
ウォーキング用ストック左右に一本ずつ計2本
ストックにLEDライト
ぴかぴかである。デコトラ並みとは言わないが、荷台のあちこちにライトがついている長距離トラックを思いだす。
光りながら両手にストックを持った男。目立つので道路交通的には危なくないが、治安のうえで危ない人だと誤解されないか心配だ。
男一人で長物を持って歩くから怪しいのであって、品のいい連れがいれば村人も安心だろうとわたしも一緒に歩いている。念のため確認すると、品のいい連れとはわたし自身のことで、他に誰かいるわけではない。
しかしその上品なはずの連れも、ミリタリーコートに反射タスキ、軍手をはめて不自然に腕を振って歩いているので、もしかしたらかえって奇怪に見えるかもしれないと気づいた。さらに作り笑顔である。だってテレビでウォーキングに大切なのは笑顔ですって言ってたから。
電飾とニヤニヤの二人連れ。通報を通り越して、都市伝説になってしまうかもしれないと危惧している。
乾いた道を歩く
その後ろを
かさかさとついてくる
音
早足になれば速く
立ち止まれば止まり
振り向いても
何も
ない
何も
いない
それでもついてくる
かさかさと
かさかさかさと
ふりむいても
なにも
ない
の
に
ポケットからはみ出したイヤホンを引きずっていた。ずいぶん汚れてしまったが、水洗いしてもいいものだろうか。
T字路で信号待ちをしているとき、目の前を製麺所のトラックが通り過ぎた。荷台に麺類の名前が書いてあったので、製麺所の車だろうと推測しただけだが。このあたりは麺の名物が多いところなので、ああいうトラックは特に珍しくもないのだろう。
それにも関わらずそのトラックが目をひいたのは、見慣れない文字があったからだ。麺の名前の末尾にカタカナで「リ」。それに続けて漢字が二文字続いていたが、一瞬のことなので読み取れなかった。多分地名だと思う。
麺のあとに「リ」でどんな意味なのか。「リ」は後ろに続く言葉にかかるのかとも考えたが、カタカナ「リ」一文字に漢字が続く言葉はあまり一般的ではない。やはりあれは麺に続いて読む文字なのだ。
関係がないかもしれないが、この地域は蕎麦のほうが名物として有名なのに、あのトラックは饂飩(うどん)屋だった。それも奇異といえないこともない。不 思議といえば「うどん」をカタカナで書くのも珍しい。それがカタカナだったから、後ろの「リ」もカタカナだとわかったわけで。
そしてゆっくりと思い出した。
この近くにリンドウの産地があることを。
つまりあのトラックに書かれていたのは「ウドンリ○○」ではなくて、「○○リンドウ」。麺類ほど有名ではないが、このあたりで盛んに栽培されている花の名前であった。
間違いには無意識の願望があらわれるという説には反対である。しかし花と食べ物を間違えたあたりはいかにも自分らしいと認めざるをえない。
「朝ですよー。起きてくださーい(相手の体をゆする)」
「乱暴はやめてー。ボクはデリケートなんだ」
「何がデリケートか。君がデリケートならバリケードだってデリケートだ」
「じゃあ俺はラミネートになる」
「ラミネートも結構丈夫だが」
「え?だって水に弱いよね」
「水に弱い紙などを保護するのがラミネートだ」
「あれ?じゃあ胃の中でどうやって溶けるの?」
「……もしかしてオブラート?」
「……」
「……」
「もう嫌だ。俺は寝る」
「いや起きろって」
刺したり毒があったりさえしなければ、虫でもネズミでも爬虫類でも怖くはない。しかし、両生類だけはどうしても苦手だ。
これはまったくもって自分の不徳のいたすところであって、両生類諸氏にはまったく責任がない。何ら害をなしたわけでもない、むしろ害虫を駆除することもあるのに、蛇蝎のごとく、むしろ蛇蝎よりも恐れられるとは彼らもご立腹であろう。申し訳ないことである。
さて、そんな自分の子供のころの話。すでに両生類への恐怖心がしっかりと根付いており、それは家庭内でも周知の事実であった。
しかしある日、弟が泥水の入ったバケツに馬鹿でかいおたまじゃくしをとって来たのだ。しかも飼いたいと言う。
無論反対した。大反対である。大人げなく、弟が不憫であるが、当時の自分は大人ではなかった。それに現在でこそ両生類に遭遇したらそっとその場から退避 するという護身術を身につけてはいるが、当時は硬直して動くこともできなかったのだ。相手が紳士的に自分の視野からはずれてくれることを必死で祈るしかな い無力な子供だったのだ。
弟はせっかくつかまえたのだから手元で成長を見守りたい。姉はそれと同じ屋根の下で暮らすのなら、家族の縁を切ることも辞さずという勢いだ。
妥協案として母が提案したのは、一晩だけ家においておくこと、翌日にはもとの場所に放すことであった。それで双方しぶしぶ合意する。今にして思えば、妥協案というよりはほとんど全面的に弟が譲ったかたちだ。いつか謝ろう。
ちゃんとアマモリの目につかないところにおいておくから、と母は言い添える。接触しないのならいないのと同じ。自分を納得させてその日は終わった。
翌朝、いってきますとわたしが玄関を出ると。
玄関の目の前に、まん前に、どうしたって見つけないわけにはいかない場所に。
とんでもなくおおきな蛙の幼生がはいったバケツが、透明な水をたたえて置いてあった。
硬直する体を叱咤しつつ、バケツから可能な限り最長の距離をとり、家を出た。
下校するや母に抗議する。そのころにはもうバケツの中身はなくなっていたので、家に入るのには苦労しなかった。
どういうことか。わたしの目につかない場所に安置しておくのではなかったのか。わたしを慣れさせようとしたなら余計な気遣いである。朝から子供を恐怖のどんぞこにたたきおとすとは、どんな了見であるか。
文句が仕事のどこかの団体からスカウトが来てもおかしくないくらいの猛抗議だ。
それを母は、はははと笑って受け流す。ハハ、ノンキダネ。そしてまったく悪気なく言った。
「泥水は濁ってるから、見えないと思ったのよ」
罪深きものよ!汝の名は沈殿!
わたしがその現象について学ぶのは、これよりもう少し先のことになる。この経験のおかげで印象深く勉強できたけど、よかったなんて全然思っていないんだからね。
今朝はずいぶん暖かいようだ。春だなあ。
その日、村の最低気温は氷点下5度。
「寒い」の基準が「台所の布巾が凍っているかどうか」になっていると自覚した。リハビリが必要です。
埃がたまっていることとか木屑が落ちていることとか。後回しにせず気づいたときに処理してしまえばいいのだ。ちょっと立て込んでいるからと見過ごすと、 結局延ばし延ばしになって長く面倒な思いをすることになる。今終わらせれば後でやらなくてもいい。遅まきながらこのことを実感し、わりとこまめにゴミ拾い や小掃除をするようになった。
ゴミが落ちていたので、腰を曲げて拾う。
どぼどぼどぼどぼどぼ。
生ゴミが入ったボウルを手に持っていたのを忘れていた。拾う前の数十倍も汚くなった。
今おわらせれば後でやらなくてもいい。ただ、すぐに終わらせようとして状況を悪化させてしまわないように。失敗はいつも教訓に満ちている。それを生かせるかどうかはまた別の才能だ。