刺したり毒があったりさえしなければ、虫でもネズミでも爬虫類でも怖くはない。しかし、両生類だけはどうしても苦手だ。
これはまったくもって自分の不徳のいたすところであって、両生類諸氏にはまったく責任がない。何ら害をなしたわけでもない、むしろ害虫を駆除することもあるのに、蛇蝎のごとく、むしろ蛇蝎よりも恐れられるとは彼らもご立腹であろう。申し訳ないことである。
さて、そんな自分の子供のころの話。すでに両生類への恐怖心がしっかりと根付いており、それは家庭内でも周知の事実であった。
しかしある日、弟が泥水の入ったバケツに馬鹿でかいおたまじゃくしをとって来たのだ。しかも飼いたいと言う。
無論反対した。大反対である。大人げなく、弟が不憫であるが、当時の自分は大人ではなかった。それに現在でこそ両生類に遭遇したらそっとその場から退避 するという護身術を身につけてはいるが、当時は硬直して動くこともできなかったのだ。相手が紳士的に自分の視野からはずれてくれることを必死で祈るしかな い無力な子供だったのだ。
弟はせっかくつかまえたのだから手元で成長を見守りたい。姉はそれと同じ屋根の下で暮らすのなら、家族の縁を切ることも辞さずという勢いだ。
妥協案として母が提案したのは、一晩だけ家においておくこと、翌日にはもとの場所に放すことであった。それで双方しぶしぶ合意する。今にして思えば、妥協案というよりはほとんど全面的に弟が譲ったかたちだ。いつか謝ろう。
ちゃんとアマモリの目につかないところにおいておくから、と母は言い添える。接触しないのならいないのと同じ。自分を納得させてその日は終わった。
翌朝、いってきますとわたしが玄関を出ると。
玄関の目の前に、まん前に、どうしたって見つけないわけにはいかない場所に。
とんでもなくおおきな蛙の幼生がはいったバケツが、透明な水をたたえて置いてあった。
硬直する体を叱咤しつつ、バケツから可能な限り最長の距離をとり、家を出た。
下校するや母に抗議する。そのころにはもうバケツの中身はなくなっていたので、家に入るのには苦労しなかった。
どういうことか。わたしの目につかない場所に安置しておくのではなかったのか。わたしを慣れさせようとしたなら余計な気遣いである。朝から子供を恐怖のどんぞこにたたきおとすとは、どんな了見であるか。
文句が仕事のどこかの団体からスカウトが来てもおかしくないくらいの猛抗議だ。
それを母は、はははと笑って受け流す。ハハ、ノンキダネ。そしてまったく悪気なく言った。
「泥水は濁ってるから、見えないと思ったのよ」
罪深きものよ!汝の名は沈殿!
わたしがその現象について学ぶのは、これよりもう少し先のことになる。この経験のおかげで印象深く勉強できたけど、よかったなんて全然思っていないんだからね。
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