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「ではご家老様、領内の漆器はこの天竺屋めが一手にお取り扱いということで・・・・・・」
「ふむ。欲の深い男よ。しかし天竺屋、これは高くつくぞ」
「ふふふ、承知してございます。変わり映えのしないものでございますが(菓子箱をすっと家老の横へ)」
「(菓子箱のふたを少しずらして中身を確認)む。なによりのものじゃ」
Shall we 賄賂?(注:犯罪です)
時代劇で、そのパロディで、一度は見たことがあるシーン。悪いことだと分かっていても、小判の並べられた菓子箱に憧れたことはないだろうか。
リベートそのものに憧れるのでは断じてない。
封筒に入った札束?なんだその情緒のなさ。
銀行振り込み?とんでもない!恥を知れ。
菓子箱に奥ゆかしく包まれているかと思えば、中身はあられもない現金。ろうそくの火に鈍く光る金色。心がくすぐられるようなそのシチュエーション。
彼らはその菓子箱の中身を、後ろめたさと洒落っ気から、こう呼ぶ。
「山吹色のお菓子」と。
というわけで「山吹色のお菓子」である。
長らく更新のなかったこの「散財」コーナー。無駄遣いをしていなかったわけではないのだが、コンテンツをおこすに至る商品がなかったのだ。お菓子のおま けもこれぞというものは発売されないし、フィギュアも好みの物が出ないし、ああ、我が無駄遣い史に冬の時代来る!と嘆いていた。あれ?それなのになんで毎 月毎月金欠なんだろう・・・・・・。(長考の後)まあ、そのことについては後でじっくり検討するとして。
そんなマイウェブサイト的に不毛の季節に、救世主があらわれた。我が琴線にふれてふるえて大波になる。
それがこの「山吹色のお菓子」。
ありていに言うと、お菓子である。パッケージに凝ったお菓子。
帯封をした小判ひとかたまりがお菓子の個包装の外装であり、中にパイが入っている。包装に比してかなり小さい印象だが、美味い。ほんのりとバターの香る しっとりとしたパイ生地に、隅のほうまで胡麻餡がはいっている。箱に入ったお菓子はあたりはずれが多いイメージだが、これは合格だろう。
しかしわたしにとってこの商品の本当の価値は味ではない。名前、見た目、それに尽きる。
ブラウン管にずっと見てきた。料亭で廻船問屋が代官に菓子箱を渡す姿を。繰り返し繰り返し。
これをやっている人たちは「悪役」であるということを示す記号。それはワルイコトだが、正義の味方の活躍と善い人たちの誠意を鮮明にする大事な場面。
その大事なシーンに出てくる重要な小道具に、憧れないことがあろうか。
賄賂はよくない。でも悪に魅かれるもまた人の性。魅かれてしまうくらい時代劇の悪役たちは魅力的だった。
それに「ちょい不良」とかいうの、流行ったんでしょ?いいじゃん、菓子箱の小判。ロマンだよ。
そんな下地があるところに「山吹色のお菓子」。これを買わずに何を買う。即注文。
かくて、夢はかなう。
菓子箱の中のくすんだ光。ドラマの中でやりとりされたあれが手元に。
なにより合法。これ、小市民的に重要。
発送伝票の品名に「山吹色のお菓子」と堂々と書いてあるので、運送業者に誤解された可能性はあるものの、法的にまずいことはしていない。
公式サイトや箱に同封されていた栞にある汚職侍と悪徳商人の絵などを見ると乗せられた感が強いが、いいのだ。これはわたしのための商品だ。後悔などない。
ただ、ひとつだけ不満点をあげるとすれば、ちょっと、かなり、値段が高い。包装コストを考えれば仕方ないのだが。
賄賂は犯罪。甘い汁を吸っても結果的に高くつきますよ、という教訓なのかもしれない。

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夕食が終わって、連れあいがテレビを見ようと誘う。
その前に皿洗いをする、と言おうとしたら途中で舌を噛んでしまった。それが連れあいには「腹洗い」に聞こえたらしく。
「うひゃひゃひゃひゃ、腹洗い?腹を洗うんだ?うひゃひゃひゃひゃ!」
と、人の腹を指差し、自分の腹をなでて大変な面白がりよう。
・・・・・・。
君は「今後腹を出して寝ているのを目撃されるたび、その姿を写真に撮られる刑」ね。と言ったらやっと黙った。
ちなみに今のところ撮った写真は2枚。
マスコミをあげてのお祝いムードの中、わたしはある過去を思い出し、暗澹としていた。そう、わたしがマスコミ嫌いになった決定的なあの出来事を。
あの時わたしは『遠山の金さん』を見ていたのだ。高橋英樹版の再放送だった。
悪人の暗躍とそれに巻き込まれる善良な人々。ある人は殺され、ある人は無実の罪を着せられる。
クライマックス、生き残った娘が悪人の手にかかろうとしたその時、颯爽と現れる遊び人の金さん。桜吹雪を肩に舞わせ、襲い掛かる敵を次々と倒していく。騒ぎに気付いた奉行所の役人が来るのを見届け、金さんは姿を消す。
次の場面はお白州である。奉行の前には悪人と善人が勢ぞろい。これから裁きが始まる。
『遠山の金さん』を知らない方に予め説明しておくと、実は善方に何かと力を貸していた「遊び人の金さん」の正体は、今まさに悪人を裁かんとしてる町奉行、遠山景元である。
白州に出ている悪人善人とも何故かそれには気付いていない。故に悪人は奉行の尋問に対してしらばくれる。自分たちの悪事を知っているのは今同じ白州にいる被害者と、どこの誰とも知れない「遊び人の金さん」だけなのだから。
「お奉行様、それは言いがかりでございますよ」
「大体そんな卑しい生まれの娘(被害者)の言うことを信用なさるんでございますか」
「証人だという金さんとかいう男もどこの馬の骨だか」
「金さんとかいう男が本当にいるのなら、ここに連れて来てください」
「そうだ、金さんをだせ!」
「金さんをだせ!」
再び解説になるが『遠山の金さん』の最高の見せ場はここである。決定的な証人がいないことを盾に好き勝手なことを言う悪役と、唇をかんでなすすべもない 被害者。悪人のふてぶてしさと被害者の絶望と視聴者の悪人への怒りが最高潮に達したとき、白州の上の奉行の口調が変わる。「おいおい、てめえら」と。
「黙って聞いていりゃ好き勝手言いやがって。金さんを出せだあ?そんなに会いたきゃ会わせてやろう。花のお江戸のど真ん中、見事に咲いた夜桜を見忘れたとは言わせねえぜ!」
奉行が片肌を脱ぐ。その肩には遊び人の金さんと同じ彫り物が!
なんとお奉行様と金さんは同一人物だった!観念する悪人。被害者の顔が驚きながらも輝く。
視聴者も大満足。この場面を見るためにこの数十分をすごしていたといっても過言ではないから。
さて、話をわたしが見ていた『遠山の金さん』に戻す。
お白州。とぼける悪人たち。遠山様の口調が変わるのを今か今かと待つわたし。
そこで。場面が変わった。
「○○さまが出て来られました!」
時代劇にはそぐわない、現代の病院の入り口。天上人に嫁いだ女性が、先ごろ生まれた自分の子供を抱いて出てきた場面だった。
あれ、リモコンのボタン押してしまったかな。チャンネルが変わってしまったようだ。わたしは慌てて『金さん』を放送しているチャンネルに戻そうとする。
しかし、どこにも金さんの姿はない。放映終了には早すぎる。新聞を見て放送局を確認してそのチャンネルにあわせる。映っているのはあの病院。
「○○さまが出て来られました!お健やかなご様子です!」
やっと、わたしは理解した。
このニュースは『遠山の金さん』を中止して流されている。まさに「中止」。『金さん』を途中で止めて、このニュースを。
怒った。わたしは本当に怒った。金さんが、遠山様が、正体を明かす場面の、そのカタルシスを奪われた。そのための数十分が否定された。踏みにじられた。完膚なきまでに。
開放されなかったカタルシスはルサンチマンとなり、その日からわたしはマスコミが大嫌いになった。
と、これが十数年前の話。
ここ二日くらいのマスコミのはしゃぎようは、この出来事を思い起こさせる。だからわたしは少し嫌な気分になるのだ。
昨日再放送の時代劇が特別番組でつぶれたのは怒ってはいない。最初からないのなら諦められる。慶事だから後味も悪くない。
しかし、あの出来事は。あれだけは。
まあ、十数年前の時代劇に関する恨みをいまだに引きずって、千文字以上もそれについて記述するわたしのほうがマスコミよりよほど痛いことはわかっているのだが。
というかほとんど『遠山の金さん』の説明じゃん。ウィキペディアでも引用して短くまとめろよ、と理性の声がいうけど、ええと、ほら、せっかく書いたから。
今日の『水戸黄門』。
番組冒頭で顔を合わせて以来、悪人たちと接点がなかった黄門様。クライマックスで悪人の本拠地に乗り込んだとき言われた言葉が
「あ!お前は浜でいわしを食っていたじじい!」
今回の悪人の中でご隠居はエキストラ的扱いだったのだなあ。
ちなみにこの後黄門様はこんな語りだしで悪役たちの悪事を暴露する。
「鰯を食べていたら、鰯が私に話しかけてきましてな・・・・・・」
情報提供者の秘匿のためなのだが、事情を知らない人がここだけ聞いたらちょっとびっくりするね。
実家の母と電話で話す。
母「ちゃんとお義母さんのお手伝いしてる?」
アマモリ「とりあえず夕食だけはつくっているよ」
母「あんたが夕食つくるの?連れあいさんの分と二人分?」
アマモリ「いや、お義母さんの分と三人分」
母「えー?!お義母さん、あんたのつくった食事食べてるの?!可哀想ねー」
後日、義母と母が電話で会談。
母「お義母さん、うちの娘が作った夕食を召し上がっているんですって?」
義母「ええ」
母「お義母さん、勇気ありますね~」
母よ、ちょっと慎んでください。
昼食を食べていたら天から啓示をうけたかのように思いついた。
熟睡するという意味の「ぐっすり」は「good sleep」ではないか。
これはすごい発想では。大発見かもとインターネットで検索。
結果:
どうやら違うらしい。
上リンク(他いくつかのサイト)によると「ぐっすり」という言葉は鎖国時代の書物に既につかわれているとのこと。残念、違ったか。
さらに
>「ぐっすり」は「good sleep」からきたと考える説が最も多く
大発見というには一般的すぎる思いつきだった。
よく考えたら努力しない人間にはできないからこそ「大発見」は讃えられるのだ。ぐうたら者のわたしが「大発見」など百年早い。百年経ってもわたしはぐうたらしている気はするがそれはまた別の話。
ごみの日が過ぎるととたんにゴミ箱が一杯になるのはなんでだろう。
答え:出し忘れ。
それはそれとして。
新しく出来るスーパーの建設現場を見ながら歩道を行く。いつオープンなのかとか請け負い業者はとか気にして余所見をしていたため、ごつん!と正面衝突。
「あ!すみません!」
謝ったその先には電信柱さんが。
二重に恥ずかしい。
大体ここは素敵な紳士とぶつかって恋が芽生えるべき場面ではないのか、という不満がさらに恥ずかしい。そういえばこの前散歩していたら帽子が風に飛ばさ れたのだけど、ダンディな紳士が「落し物ですよ、お嬢さん」と拾ってくれることはなかった。やはり少女マンガワールドを発現させるには既婚では駄目なの か。それとも帽子の色が黒だったのがまずかったか。麦わらか白くてリボンのついた帽子なら紳士ホイホイになったのではないか。そもそも(以下埒もない妄 想)
連れあいが布団をはだけて寝ていたので、肩が冷えないように布団をかけなおす。
その2分後くらいに連れあいが言う。「ありがとう」。
あ、布団のことか。でもちょっとタイミングがおかしいので、「何のこと?」と聞いてみた。
連れあいの答え
「ありがとう。・・・・・・ヘブライ語を訳してくれて」
また寝言か。いい加減にしろよ。いや、そんなことより夢の中のわたしすごい。
履いているサンダルに石が入ったときの取り出し方。
一般的なやり方:腰を折りまげてサンダルを脱ぎ、手でサンダルを斜めにして振って排出。
やんごとなきお方:おつきの者がひざまずいてサンダルを脱がし、石を取り出す。本人の素足はお供の折ったひざの上で休ませる。
わたしのやり方:立ったままサンダルを脱ぎ、足の指でサンダルをつまんで振って地面に戻し、また履く。別に腰が悪いわけではない。
わたしにも「おしとやか」と言われた時代があったのだが。
飼い猫の血統書が届いた。
血統書には猫の名前が記載されている。これは飼い主がつけた名前ではなく、その猫のブリーダーがつけた名らしい。
で、我が家の猫にブリーダーさんがつけていた名前は。
Amigo
お前、「アミーゴ」だったのかあ!!(猫を高々と抱き上げながら)
兄弟猫は「アポロ」とか「アンジェラ」なんだけどなあ。なんでアミーゴ・・・・・・?