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連れあいが歌っている。「むすんでひらいて」の節で。
「すーべって、ひーらいて、手ーをついて、こーろんで♪」
念のため歌詞が変だよとつっこんでおく。
「え?どこか違った?!」
本人は正しく歌っているつもりだったらしい。
余談だが秋田県では冬になるとスケート場のコマーシャルが流れるのだが、その歌詞が
「すべって転んでいい笑顔」
これを受験シーズンに延々と。
当時の学生たちは自虐的に口ずさんでいたものだ。
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おまけ
こんなものをみつけた。
相撲健康体操。
>子どもからお年寄りまで、女性、男性、どなたでも楽しくおこなう事ができる健康体操
とのふれこみだが、四股をふんだり股割りをしたりとわたしにはかなり難しかった。難しいというかできなかった。
イラスト図解の「元気君」が味があってよし。
どこかで既に話題になっていたらすみません。
昨年度文部科学省の委託事業もやっていたようなのでかなり古い話題かも。
観光地によくある出張郵便局(?)で切手シートを買ったら、
「スーパーボール差し上げていますのでよろしければどうぞ」
とさしだされた。
何故スーパーボール?
そしてしっかりもらってきたわたしも?
猫がわたしの顔の横で寝る。ちょうど耳に寄り添うので、息遣いや鼓動が聞こえる。
猫の鼓動はとてもはやい。人間の鼓動がどくどくどくどくというリズムなら、猫のそれはとっとっとっとっと忙しい。心臓が15億回打つと生物は寿命だという(人間は例外らしい)。やはりこの小さな生き物はわたしより早く逝ってしまうのだと少し悲しくなる。
でも心臓の鼓動が早いということは、時間の密度もその分濃いのではないか。桜の花の時期は人間にとってはとても短いけれど、猫にとっては心に刻むには十 分なほどの長さなのかもしれない。あっというまに移り変わったように見える春から夏の変化を、ひとつひとつ感じているのかもしれない。
同じ世界に生きていても、わたしの世界と猫の世界は時間の濃さが違う。見ているものも聞くものも感じ方も変わってくる。
けれど同じ世界に生きていて、同じ布団で眠る。この不思議。
というわけでね、我々は同じ世界にいながら別の時間を生きているわけだ。だから行き違いもあるわけだよ。
君の尻尾を踏みつけたのは悪かったが、そろそろ許してくれないかなあ。
おまけ
<詐欺>高級婦人とデートで登録料詐取、被害者1万人超
「高級婦人」って。
人を騙すならもっと言葉を吟味すればいいのに。
「高級紳士」はこんなのに乗ってはいけません。中級でも初級でも同じこと。
連れあいがティッシュで顔を拭いていた。
わたしも鼻をかみたかったので「わたしにもティッシュ取って。使用済みでないやつ」と頼む。最後の一言は今連れあいが使っているものを渡されないための予防線だ。
ああそれなのにそれなのに、ぽいと投げられたのは今まで連れあいが顔を拭いていた一枚。無論抗議。
「『使用済み』でないやつって言ったでしょ」
「え?それは『使用中』だよ?」
この屁理屈師が!
ピーマンの肉詰めを作ろうとひき肉を買う。玉ねぎもぬかりなく用意。あとは卵とパン粉と塩こしょう・・・・・・家にあるから大丈夫。完璧。
今日の夕食は決まりだ。意気揚々と家に帰る。
・・・・・・。
うん、あのね、ピーマンがなかったよ。
花火と一緒に並んでいた商品を買った。その名は「ひとだまくん」。針金の先についたガーゼに特殊な薬液を染みこませて火をつけると、緑の炎が上がる。それをひとだまに見立てて楽しむわけだ。
これのパッケージに書かれている売り文句がおかしい、というか、微妙に座りが悪いというか
用途として上げられているのが「きもだめし・キャンプファイヤー・ハローウィン」。最後のはちょっと人魂の活躍場所としてはどうかと思うがまあセーフとしても。
「花火とちがう夜あそびグッズ」。花火を夜遊びとはあまりいわない気がする。あいつ毎日夜遊びしているんだぜ、と指を指された人が夜な夜なひとだまを燃やしているとは誰も思うまい。
「冷ややかな緑色の火の玉がオカルトムードを演じます」。ムードを演じるという言葉がまた気にかかる。人ではなくガーゼに火がついた物が「演じる」と言われてもちょっとだまされた気分。
そして商品名の上には「うわさの霊界グッズ」。世にグッズは数々あれど、霊界グッズという分類があることにびっくりだ。「うわさの」が「霊界」にかかるのか「霊界グッズ」にかかるのかもちょっと興味深い。
というわけでパッケージを読めば読むほどなにかもやもやする「ひとだまくん」。公式サイトは
こちら。「ひとだまくん」の発展系「ひとだまくん三色アミーゴ」もあるよ。ひとだまはパーティグッズになりうるのかと思索するも一興。
二人組みの芸能人のどちらかの名前がわからないと、その人のことを「○○ではないほう」と言うことがあるが、これはよくない。存在を否定形で示されるの は悲しかろう。それにその人はもう一人の付随物ではない。一個の独立した人間だ。「○○ではないほう」という表現は失礼といえる。自分がされたら嫌な言い 方はたとえ相手がブラウン管の中の人でも避けたいところだ。
という話を義母でないほうの家族にしようと思う。
往年の野球アニメをたまたま見た。
サブタイトルは「恐怖の殺人盗塁」。ライバルが恐ろしい盗塁をくりだす話か。
と、思ったらその盗塁をするのは主人公だった。主人公の技ならさぞ華麗だろう。
と、思ったらスピンしながら塁に飛び込んで相手の選手を蹴り飛ばしていた。野球規則はどこへ。こんなのどう対処すればいいのだ。
と、思ったら対戦相手は選手二人、前後にぴったりくっついてこれに対抗。しかしそれでも防げない。吹っ飛ぶ遊撃手とその加勢(外野手)。
死人は出なかった模様。
余談ながらこのアニメの「協力」にはかの有名球団がクレジットされている。