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学研「大人の科学」シリーズの中のひとつ、「大江戸からくり人形」。茶運び人形が自分で組み立てられるキットである。税別5900円。
トイザらスで友人が「こんなものがあったんだけど」と差し出した箱を脊髄反射のスピードで籠へ。値段なんて見ちゃいねえ。
からくり人形といえば、子供のころの夢ではないか。自分で組み立てたぜんまいと歯車とばねが噛み合いからみあいただそれだけの作用で動く、これをロマンといわずして何という。給料日前だとか収納場所だとかそんなことは思案の外。レジに向かう足取りに迷いはなかった。
組み立ては、簡単ではないが難しくもない。部品が工程ごとに小分けしてあるなどの配慮もあり、ある程度の年齢であれば、ちゃんと組みあがるレベル。というか、不器用者のわたしでも完成したので、一般的な人ならばかなり容易にできあがるのかもしれない。
ところが、これ、最初は動かなかった。調整してくれた友人によると各所の摩擦力にぜんまいのちからが負けていたのだろうとのこと。ゆがみがないように組めば大丈夫なのではないかとのアドバイスだった。
さて、調整も終わって、いよいよ本番。人形が手に持っている盆に付属の湯飲みを乗せる。
ががががが。
うごいた!昔夢見たぜんまいと歯車とばねの競演。
おじぎ。
転回。
すごい!コンピュータも何も使っていない人形が前進し首をもたげUターンして戻ってくる。しかもこれを自分で組み立てたのだ。あの頃の憧れが今ここにある。
欲を言えば、ぜんまいを一杯に巻かないと、部品同士の摩擦力で途中で止まってしまうのが難だ。これは自分の作り方に問題があるのだろうし、ちょっと手で押してやればまた動き出すので、まあよしとしよう。
蛇足だが、この商品を買ったときのレシートが「オオエド カラクリニン」となっていて時代劇のタイトルみたいで面白かった。必殺シリーズの名作だそうです。「からくり人」。
アトムが生まれた年に、ぜんまいじかけのからくり人形。また楽しからずや。
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OSについてくる画像見本の花の写真が、わたしの撮る写真をもっと上手にした感じでなんだか複雑。
無難か、わたしの感性はあくまで無難なのか。
以前は毎日通った道を、今は何週間かに一度くらいしか通らない。
たまに通ると、様子が変わっていて驚いたりする。
どんなありふれた日常も過去になるのだと気づいて、背筋を伸ばして景色を見直す。
カートをひいていくおばあさんもタクシーからおりた背広の人も不動産屋の看板も歴史建造物指定の標識も道路のかすれた白線も閉じたシャッターも青果店の桃のにおいもちゃんと覚えておこうと心を澄ます。
覚えておくことで、過ぎていく日々は安心して過去になれる気がするのだ。
覚えて、何かを受け取って、忘れるあるいは忘れない。
いつもの1日を大事にする。と、言ってしまえばそれだけの話。
横断歩道はあるのになぜ縦断歩道がないのか。
交差点にある互いに直角の関係にあり、かつクロス交差点ではない横断歩道は、ある道Aに対して横断歩道と縦断歩道の関係にある。
ところが、道Aと直角に交わる道Bから見ると、横断歩道と縦断歩道は逆転する。
Aから見た横断歩道はBにとって縦断歩道であり、その逆もしかり。
ゆえにある横断歩道を「横断」「縦断」と区別はしないのだと考える。
一生懸命頭のよさそうなことを書こうとするとこうなるのだが、やはり無理はしないほうがいいように思う。
「ハチロク」と呼ばれている車があるというのは知っていたが、今日「ハチクロ」という言葉を見た。
しまった、また覚え間違い。きっと車の型式に「86」とつくのだと思っていたのに。
と思ったら車は「ハチロク」でいいそうな。
「ハチクロ」はある漫画の略称だそうな。
こんな言葉を使いわける皆さんはすごい。
国政選挙で一番、選挙結果を知るのが遅いのは、誰かというと。
開票作業をしている市町村職員、が多分正解ではないか。
どこがどの程度議席を獲得するかその日の午後8時には大体の予想が報じられる中、彼らは日付が変わってから帰ってきて、口をきく元気もないくらい疲れつつもとにかくテレビを見て趨勢を知るのだろう。明日は月曜で、普通に仕事だけれど。
別にどうということもない、ある仕事の形だが。
お祭り騒ぎの裏方のことをちょっと思い出すのも、また趣ということで。
夢を見た。
山の上に旅館があって、そこでは昼食に桃色と黒の2色のおにぎりを出す。遠くから見ていると、お昼時、旅館のある山の上が、みるみるうちに桃と黒に染まっていく。ああ、やはりあの旅館は人気があるのだな、と思って目が覚める。
ごく馬鹿馬鹿しい夢だが、いちねんせいになって友達が100人できて、
みんなで富士山の上でおにぎりを食べるというイメージはこんな感じだなあ、と思った。
富士山に積もった雪だと見ていたものが、子供たちのおにぎりなんて、なんか壮大になごやかでいい。
ポケットのたくさんある鞄が好きだ。「仕切りがないので、何でも放り込めて便利」というブラックホール型鞄は、よほど気に入らないと使わない。
今一番使用頻度が高い鞄は、前に2つ、後ろに2つ、側面に1つ、中に2つのポケットがあり、ついでに前面にペン挿しまでついている。そして見えるところ についているポケットも、あまり主張してしない。理想的である。「ポケットゲットだぜ!何でも入れろやオラア!」ではなく、あら、ここも物が入れられるの ね、というさりげなさがいいのだ。
鞄を前に、このポケットにはiPod、ここは切符、暇つぶしの雑誌はここにいれて…と想像する。
ポケットへの憧れはそのポケットを使う状況への憧れにほかならない。
そう。想像ではたしかにポケットには夢がつまっているのだが。
現実は多すぎるポケットを使い切れず、結局「仕切りがないところに何でも放り込む」生活。もちろん買ったときに思い描いた理想像などどこにもない。
でもまあ、ポケットが空っぽということはそこに何かが入る余地があるということで。
混沌とした一角と空っぽのポケットを併せ持つバックを肩にかけ、理想と現実のギャップを笑いつつ、いつかこの空白地帯にチケットをいれて旅立つぞ、と思いながら、内容物不在のポケットを励みに暮らすのもまた、一興。
余談。
「ほぼ日手帳」「カバーにポケットがたくさんついている」という一言に釣られて予約してしまった。
ディズニー映画史のテーマだと思っていた曲の題名が、
「タイム・オブ・デスティニー」だったことが本日判明。
DVD「ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還」S.E.E.のスタッフロールは、
本編を見終わって、席を立って、
夕食の卵かけごはんを用意する途中で、
茶碗を割ってしまい、それを片付けて、
何とか食事にありつき、おいしくいただいて、
食器を台所に下げて、
ちょっと外に出るために着替えて、
髪も軽く整えるだけの
時間がたっても、まだ終わらない。
エンディング曲も1曲では足りないらしく、何曲かつないでつかっている。
もう、かかわった人は全部いれちゃうぞーという意気込みを感じるのだが、
これでもスタッフロールから漏れている人はたくさんいるのだろうなあ。