母が携帯電話の待ち受け画面を好きなタレントの写真にしていた。
いい年をしてなんて羨ましい!わたしの好きな俳優は公式サイトもないし、壁紙配布サイトに写真が掲載されていることもないので、待ち受け画面にするなんてできない。ああ羨ましい羨ましい羨ましい。
心中穏やかでないままに少し調べてみたら、現在の携帯電話はパソコンで使っている画像形式でも普通に表示できるらしい。以前使っていた機種では携帯電話 用に変換する必要があったので知らなかった。これはなんと幸福を呼ぶ技術の進歩。パソコンには写真集をスキャンしたものやドラマの画面をキャプチャしたも のがたくさんある。それらを少し小さめのサイズにして携帯電話へ。
すばらしいことだ。ストレート型の我が携帯電話を傍らにおいておくと、メールが届くときなどぱっと画面が明るくなり、愛しき俳優がこちらに笑いかけたり にらみつけたり銃口を向けたりしているのである。たとえ届くのが迷惑メールだったとしても、俳優の笑顔へのときめきで心穏やかに受け取れる。
欲がでてきて、今はDVDから音声や動画を抽出して着ボイスや着動画にできないか調べている。
携帯の画面を開く度にやにやしてしまう他に、実用のうえでいいこともあった。壁紙を好きな俳優に変えてから、携帯電話を忘れてでかけることがなくなったのだ。ケイタイを携帯するようにとよく注意されていた自分とすれば大きな変化である。愛着が出てきたということだろう。
それで思い出した。高校生のときの話だ。
何気なく応募した懸賞で当たったと、後輩が時代劇のテレホンカードをくれた。それは我が最愛の時代劇。当時はまだインターネットも発達しておらず、田舎 でドラマのグッズを手に入れる機会などなかったので、周りに心配されるくらい狂喜乱舞した。大事に大事に生徒手帳カバーにはさみ、そっと開いてはにまにま する。生徒手帳はわたしの必携の品となり、教室移動の際も持ち歩いた。
ある日、移動した先の教室で、生徒手帳がなくなっているのに気づいた。教科書の上にもない。ポケットにもない。机の下にもない。密かな混乱をよそに授業が終わり本来の教室に戻ると、わたしの机の上にそれはあった。置き忘れたのではない。誰かが届けてくれたものだ。
生徒手帳はパスケース型のカバーがついており、二つ折りにした外側の面半分が窓になっている。窓部分に学生証をいれて使うのだ。学生証には生徒の写真が 添付されているが、わたしのそれは写りが悪かった。今になって思えばそれは写真写り以上に被写体がよくなかったのだろうが、とにかく自意識の塊であったハ イティーンとしては、他人に見られたくない写真であった。それゆえにわたしの学生証は普段は外から見えないよう裏側にして生徒手帳にセットされていたの だ。
手帳には学生証のほかに、持ち主を示す特徴はない。それなのに落とした手帳は正確にわたしの元に届けられた。つまり、拾ってくれた人は裏返された学生証 をひっくりかえし内容を確認したわけだ。そのためには二つ折りにした手帳のカバーを開かねばならぬ。そして手帳を開いて最初にそこにあるのは、時代劇の登 場人物たちがにっこりと笑うカード。
あああああ見られたあああああああ確実に親切などなたかに見られたああああああああああ!
学生証の写真なんてものではない。若い人が時代劇を好きなことそのものが恥ずべきこととは全く思っていないが、こっそり持ち歩いて時々覗いて笑みを浮かべる対象なんて、それはもう性癖を示すもののような扱いで。それを見られたのだから恥ずかしいこれは恥ずかしい。
いやでもテレホンカードだから、緊急連絡用に持っているだけだと誤解してくれたかもしれない。しかし非常用のカードを手帳を開けばすぐ目に入るところにいれておくのはおかしい。とはいえそこまで推理するほどみんな暇ではないはずだし。
そんな調子で、数日間気持ちが休まらなかった。
携帯電話の待ち受け画面を好きなタレントにしていた母の言葉。
「恥ずかしいことじゃないんだけど、誰かに見られそうな状況で起動するとき、何となく恥ずかしいのよ」
わかる。すごくよくわかる。
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