運転免許証の更新に行った時の待ち時間、何とは無しに外を見ていた。
実技の必要な人のために車が停めてある。職員らしき人がハンドルやメーターやミラーを拭いて立ち去った。
何分かして、先ほどの職員が何人かの技能試験を受ける人たちを連れてきて、何やら説明をしていた。
説明を受けている人たちは知らない。
今から自分達が乗る車を、目の前の職員がきれいに掃除していたことを。
そういうことはたくさんあるだろう。
知らない誰かの心遣いは、あまりにありふれているので、それに思い及ぶこともない。それが当たり前だと思って暮らしている。当たり前だとも考えないくらい当然に享受している。
でも確かに自分が快適に生きていけるのは、誰かが厚意や仕事や気まぐれで、世界を整えてくれているおかげなのだ。
「誰か」は知っている人かもしれなし知らない人かもしれないしすれ違った人かもしれないし御釣りを渡してくれた人かもしれないし追い抜いていった車に乗っていた人かもしれないし貴方かもしれないしわたしかもしれない。
そんなふうに。そんな感じで。
あまり中身がよくない福袋をいくつもいくつもわたしが買ったことも、誰かの役にたったに違いないのだ。お店の在庫整理とか。売り上げとか。
収納スペースを圧迫するガラクタの山も、無駄ではなかったのだと信じている。
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