ある春のドカ雪の日のある人の悲しい悲しい物語ふたつ。
物語1
寒いのでマフラーをたんすの奥から出した。
いまさらマフラー?と思われるかもしれない。長い北国暮らしで「この程度の寒さでマフラーなど沽券に関わる」というおかしなプライドが育まれてしまい、 ここ数年間マフラーなどしたことがなかった。今になって引っ張り出してきたわけは、それだけここ数日が寒かったことと、マフラーってなんか格好いいよねと 急に目覚めたことの2点である。格好いいかもという期待は沽券に勝るのだ。実際に格好いいかどうかはまた別の問題。
ぐるぐると首に巻いて散歩に出る。
あごを埋めると大変あたたかい。こんないいものを何故今まで使わなかったのかというくらいだ。
あまりに温かいので、このマフラーは声のいい紳士が薄着で歩いているわたしを見かねて貸してくれたものだという妄想が始まる。紳士は正にいま隣を歩いて おり、わたしの健康への無頓着さに対して説教とも文句ともつかない話をしているのだ。むろん愛情をこめて。自分の身につけている防寒着もこの風雪には少々 心もとないものだというのに。
という設定で3キロ歩いた。1妄想3キロメートル。キャラメルなどとは比べ物にならないこのエネルギー。
何故人は妄想で3キロ歩けるのに、霞を食って生きることはできないのか。生きるとはなんと悲しく苦しく理不尽なもの。
物語2
雪の中傘をさして歩いていると、ふいに太陽が顔をだした。
雪が積もったところに落ちる影は見えやすい。わたしの影もくっきりとあらわれる。体の上半分が楕円だ。丸いところは傘の影。
ん?これって、あれに似ていない?
自分の正面の姿がうつるように体の向きを変える。傘は肩で支えるように持つ。上半身、楕円だった影は円に。手を横にだし、あの台詞。
オイ、キタロウ!
・・・・・・。
眼球(顔?)から手が生えているような影で、あまりそれらしくない。コートを着ているので、シルエットもおかしいし。全身タイツならそれっぽく見えそう な気はするが、吹雪の中その格好で歩いていたら多分通報される。通報されなくても何か大切なものをなくしてしまう予感がする。
現状でもっとそれっぽくみえるように工夫しているうちに、太陽は隠れてまた吹雪になった。
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