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連れあい寝言メモ。
「えっ……お前、コオロギなの……?」
人間ですが。
楽しい外出から帰ってきて、ふと気づいてしまった、その、衝撃。
先日まではベルトを締めないと着ていられなかったデニム、今日は一日ベルト無しで着ていた。
次の日、家人がいつもの仕事着にベルトを忘れてぽつりと一言。「違和感ないんですけど」
お前もか。
保険の営業さんが来訪する予定だったので、床にごちゃごちゃとあるクッションやぬいぐるみを片付け、カーペットのしわをなおし、テーブルをきれいに拭いてお迎えした。
お帰りになってから気づいたが、テレビ周りの大量のおたく系フィギュア、飾りっぱなしだった。
食品加工会社の駐車場を、白衣にマスクに帽子、つまり加工ラインに入るときそのままの格好であろう人たちが雪かきしていた。
いいのだろうか。
このところ朝食にグラノーラを食べている。何となくおしゃれではないか。言葉の響きが良い。しかもフルーツグラノーラだ。これぞナウなヤングのトレンドでマストであろう。多分巷ではパンケーキあたりがもてはやされていると思うが気にしない。グラノーラは洒落た朝食である、ということにする。
グラノーラを皿に盛る。麦とドライフルーツの美しさ。遠い思い出の背景、晩秋の野辺のようだ。身体にいいそうなので牛乳をかける。冷蔵庫から取り出して、注ぐ。
……間違えた、これ牛乳ではなくてスポーツドリンクだった。
ハンバーガーを買ってきた。1個では全然足りないので2個。2個でももう少し食べたいくらいだが、3つでは多い。
家に着いて2つ食べる。いつもならやや物足りない量なのにもう満腹である。これが食が細くなるということだろうか。年齢とともに食が細くなるなど都市伝説だと思っていたが、ついに自分も際限のない食い意地から解放されるときが来たのかもしれない。解脱である。悟りである。見よ、天の国は近づきぬ。
帰り道で肉まんを買い食いしたのを忘れていた。食は細くなっていなかったが、記憶力は確実にスリムになっている。余談ながら身体は相当太くなった。
ごく短い周期で繰り返し繰り返される事象・光景・言葉・手触りなどを日常という。日常は常に既知のものだ。長く永い既知の連なり。それは退屈という精神の怠惰を招くかもしれない。
既知の中に未知を発見する者、繰り返しを何度も噛みしめその味わいを楽しむ者、極めて緩やかな変質とやがて来る終焉を意識しえる者、彼らだけが既知なる日常を新しく楽しむことが出来る。
つまり、以下の日記が
ごく最近読んだことがあるものであったとしても、日記なるものが日常を写し取った記録である以上は仕方のないことであり、それを楽しめる者こそ日常に祝福されるのだ、ということが言いたいわけだ。
「この雪団子、美味いね」
肉団子ですけど。
ラップが冷蔵庫に、マーガリンが調理小物入れに入っていたが、寒かったので大丈夫。とけていない。自分の脳は凍り付いているかもしれないが。
「このトマトケチャップ、おいしいね」
なぜ間違ったのか想像もつきませんが、あなたが召し上がっているのは麻婆豆腐です。でも褒めてくれたのはありがとう。