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本日は30代半ば以上くらいでテレビ好きだった人でないと全くわからない話題。注意。
子供の頃観ていたテレビの話になった。
「倍率ドン!さらに倍!」
あ、実は『クイズダービー』を観たことがない。実家のほうでは放送しなかったし。
「TBS系列は無かったんだっけ?」
そう。実家のある地域では映らなかった。
子供のころは「水戸黄門」が時間どおりでないのが悔しくて悔しくて。再放送枠もきちんと確保されているわけではないのが哀しくて哀しくて。家を出て一人 暮らしの土地を選定するにあたって最も重要視したことは「TBS系列(というより『水戸黄門』)が放送されているかどうか」だった。調べてみたら映らない 地域のほうが珍しいくらいだったが。
「TBS映らないとか、ダッセー」
ダサいかどうかは別にして、昔のテレビは面白く感じていたから、幼少時代に全国的な人気番組に夢中になれなかったのは残念ではある。
話の流れで「オレたちひょうきん族」のネタも出た。
「ブラックデビルとか懺悔室とか。よく真似したね」
懐かしい。小さい頃は「強きを助け、弱きをくじく」の笑いどころがわからなかった。
あれ?あなた、「全員集合」派なのに、どうして「ひょうきん族」のこと知っているの?
「何言ってんの。『ひょうきん族』は夕方からだったでしょ」
え?
「え?」
フジテレビ映らないとかダッセー、と言っておくべきだっただろうか。
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「この、レタスの切り方はいいわね」
義母が言った。食事に添えたレタスは、手でおおまかにちぎった後に包丁でざく切りにしてある。これだと嵩(かさ)が減って、量がたくさん食べられるのだ。
「食べやすいし、いいわね。私、こういうふうに包丁で切ったレタスは初めて食べたわ」
べた褒めだった。たかがレタスの切り方でも、褒められると嬉しいものだ。
ただひとつ残念なことは、このように刻んだレタスのサラダをお出ししたのは、これが初めてではないということだ。この夏だけで多分5回目くらい?
今まではざく切りが大雑把過ぎて、包丁で切ったとはわからなかったのだろう。反省。人並みに繊細な作業を心がけたい。
鶏の照り煮を作る。少ない煮汁で煮るので、途中で肉をひっくり返すことがポイントだ。肉の表面全体が煮汁に接するように作ればよい。肉の一部が煮汁に触 れないままでは駄目だ。それさえ気をつければ、パックから取り出しただけの肉を鍋にいれるだけで照りのある煮物が完成。簡単だ。失敗のしようがない。
さて、そろそろ片面に火が通ったころあいだ。ひっくり返してもう片面を。
何これ。
今まで煮汁につけていた肉の表面に、何か、紙のようなものが。
ああ、これは肉のパックの下にしいてある紙だ。肉にくっついてそのままだった。ということは。
紙をめくる。煮汁で照り照りになっているはずの皮は、そこだけ色が薄く。
煮なおしだー!
参院選候補者事務所から、宣伝のハガキが来るようになった。
大抵のハガキの隅には「私もこの人を推薦します」という欄が設けられ、地元の名士などの名前があるものだが、今日来たハガキは
「私も○○さんを推薦します。
」
空欄。
さみしい。地元の推薦者が確保できないなら、この欄はなくしておくべきだと思う。
山間の道を車で走っていたときに見つけた看板。
「山頂に墓地あり
スピードダウン」
前半と後半の関連性が見出せない。弔いの準備はできているということか。
言葉を絵や記号に置き換えたものを何と読むか考えて楽しむ「判じ絵」なる娯楽がある。江戸時代における言葉パズルみたいなものだ。「
よきこときく」は横溝正史の小説の中で使われたから馴染み深いかもしれない。
ほかに有名な判じ絵として「かまわぬ」がある。
鎌の絵に、丸ひとつ、ひらがなの「ぬ」。鎌、輪、ぬ、で「かまわぬ」と読む。当時の歌舞伎役者が着物か何かの柄に使ったことでブームになった。現代でもてぬぐい等の柄としてよく使われている。
前置きが長くなったが、起こった出来事は単純だ。
この「かまわぬ」柄のてぬぐいをわたしが使っているのを見た連れあいが、それを指差してひとこと。
「あ、『よろしく』だ」
一個も合っていない。日本語で四文字、としか覚えていなかった模様。でも間違ってもとにかく言ってみようという積極性はすばらしい。
猫の話。苦手な方はご注意を。
夜明けが早くなると猫の目覚めも早くなるようで、このごろの飼い猫は早起きである。
猫にすれば起きたら部屋からでたい。外で遊びたい。飼い主は明け方に鳴き声で起こされる。ここで甘い顔を見せてはならぬと叱って我慢させる。
そんなことが何度か続き、猫も早朝に鳴いてはいけないと覚えたらしい。やれやれと安心したとき、猫が新手を使ってきた。
ごろごろと喉をならして甘えながら布団のまわりをぐるぐる歩く。
耳元で喉を鳴らされると結構目が覚める。こちらの体に頭をすりつけられたりする。可愛いのだ。大変に可愛い。甘えているのを怒るのも気がひける。
ま、負けないんだから!
午前3時30分の攻防。
夕方、ゲームの画面から目を離さない連れあいの横で、袋の音をがさがささせていたら、
「何食べるの?俺にもちょうだい」
明日はごみの日だからごみ箱のごみを集めていたのだけど、食べる?
ひどい、と立腹された。
朝方、布団の中で夢うつつの連れあいの横で、袋の音をがさがささせていたら、
「何食べるの?俺にもちょうだい」
猫に餌をあげていたのだけど、あなたも食べる?
ひどい、と立腹された。
ゲームをしていようが寝ていようが食べたがる根性も気にかかるが、何よりわたしが時間を問わず食べ続けている人間だと認識されている節があるのが非常に気がかりだ。
やかんを火にかけて沸くまで待つ。待つ。待つ。待つ。
あまりに沸騰に時間がかかると不審に思ったら、火がついていなかった。最近こんなことが多い。年齢のせいだろうか。哀しいことだ。
と嘆いていたら本日、ついていたガスの火が、何もしていないのに勝手に消えるのを目撃した。
もう少し自分を信じてあげてもいいかもしれない。消える火に希望の光を見た。ただ、古いガスレンジを買い換える必要があるかもしれないことは財政的に憂鬱だ。禍福はあざなえる縄の如し。
義母の部屋の障子を貼りかえる。美しさや正確さを求められる作業は苦手だが、頼まれたからには誠意と全力を尽くさねばなるまい。
幸いにして家にあった障子紙の在庫は、アイロンで温めて貼るタイプだった。本格的に糊を使うやり方は経験がないので助かった。
説明書どおり仮止め、四隅、桟の部分、周囲とアイロンをすべらせる。温めたからといってすぐに貼りつくわけではないようだ。何度も、かつ慎重にアイロンを当てる。
出来た。少ししわもあるし、直線であるべき切り口が曲がっていたりはするものの、自分にしては上出来だ。
あ、少し端っこが剥がれてきた。アイロンを押しつけて接着する。
ぷち。
そのとき。
アイロンの先端が紙にささって穴が。
あーーーーーー!