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以前は部屋がなかなか片付かないとか、掃除機をなかなかかけないとかだらしないことを言っていたが、今はそうでもない。シンプルに暮らせば幸運がやってくるという話を聞いてからのことだ。
物持ちなので「シンプル」にはかなり距離があるが、それでもいらないものは大分捨てたつもりだし、定期的に掃除もする。
暇があれば捨てるものはないかと鵜の目鷹の目。紙一枚、布一枚でも捨てられそうなら嬉々としてごみ箱へ。無駄なものを捨てるたび幸せの足音が一歩分聞こえたと暗示をかけてカタルシス。溜め込み癖のあったころに比べれば無脊椎動物に背骨が生えたくらいの進歩だ。
確かに長年の間にしみついた物欲はなかなかに調伏し難く、外に出かけては雑貨を家にいては通販でおもちゃをと家に入ってくるものはなかな減らない。
それでもいらないものは容赦なく捨てることを念頭においていれば、なんとか飽和状態だけは避けられる。
捨てることで、部屋が簡素にきれいになって、かつ幸福がくるのなら一石二鳥。だから、捨て、掃除をする。
だから、来い。幸運よ。捨てて空いた空間いっぱいに来い。
ちなみに掃除の日が大体水曜日なのは、ロト6の当選発表が木曜日であることとは全然関係アリマセンヨ?ホントウダヨ?
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ペットボトルを洗っていたのだが、なかなか中に水が入っていかない。
水流が強すぎるのだと思って蛇口に手をやって気づいた。
ペットボトルのふた、しまったままだ。
居酒屋でランチ。定食を頼んだら、小鉢に一口サイズの冷奴がついてきた。
外は暑いし、最近豆腐にはまっているし、豆腐だけ単品で頼もうか迷ったところだったので、喜んでいただく。
しょうゆをかけて、と。いただきます。
口にいれる。咀嚼。…………ん?んんん?
……。
……。レアチーズケーキでした。
小鉢の底に残るしょうゆが大変恥ずかしい。
天井の上でぱきぱきと音がする。屋根の上をなにか歩いているのだろう。きっと猫だ。青空の下を猫が行く。ああ猫が行く。心がときめく。
外に出て屋根を見たら、トタンがはがれて風にあおられていた。ぱきん、ぱきんとむなしく響く金属音。
返せ。わたしのときめきを返せ。
当ブログについてご案内いたします。(最終更新日2011年6月21日)
- ブログタイトル
- 起きて日常、寝て日常。
※句読点は省略してもOK。
その他「起きて日常」でも「起き日」でも「起き寝て」でも
同一性が保たれる限りはご自由に。
開設日
- 2005年9月16日
現URLへの移転日
- 2010年10月25日
管理人
- アマモリ
居住地
- 日本の北のほう
当ブログの趣旨
- 何でもない日常の記録で皆さんのご機嫌を伺います。
リンク
- 当サイトはリンクフリーです。はるもはがすもご自由にどうぞ。
トップページにリンクする場合のアドレスは http://okinete.ichi-matsu.net/ です。
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補遺
- 「破れ屋根の休憩室」
さらに力の抜けた第二の日記。将来的に当ブログに統合予定。
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日記「明けの日常、宵の日常。」がオープンしました。
作者の個人サイト、「起きて日常、寝て日常。」も同時開設。
毎年夏になる度に自分のサイトが作りたくなって、作りかけて、放置してをくりかえして3年。
いわば構想3年ともいえる「起きて日常、寝て日常。」開設。
構想3年で、内容は日記だけ。日記の内容も面白くもおかしくもない。
半端で無用な感じがいかにもわたしのサイトらしい。
これも味。無味もまた味でございますよ。
というか、これから初アップ。行ってきます。
できた。何とか見られそう。「見られる」というのは単純に「可能」であってそれ以上ではない。
ひさしぶりに胸がどきどきする。「期待と不安に胸をふくらまして」とはよくある慣用表現だが、まさにそれ。あと、やりなれないことをした興奮と。
この思いがサイトの維持管理につながりますように。いつも初心忘れっぱなしだけど、今度こそ。
いつも歩いてくる道路は、狭くて歩道が無く、車通りが多い。歩行者が車に体をこすりつけんばかりにして歩く部分は、アスファルトが切れて土がむき出しになっている。
普段も怖いが雨の日などはもっと怖い。ただでさえ大き目の体の横幅が傘をさすことでさらに広くなっている。おまけに普段歩くところは水たまりができている始末。
靴が汚れるのと車に轢かれるのとどちらがいいと言われたら、もちろん答えは決まっている。どちらも嫌だ。嫌なのでいつも車が通るアスファルト部分を歩く。突然飛び出したりせず、あらかじめはみ出しておけば、車もあえてそれを轢こうとはしない。
さぞかし邪魔にされていることとは思う。でも水たまりをピチピチジャブジャブランランランして楽しめるような靴を履いていないのだから仕方ない。
水で流せば簡単に泥がとれるのは車のほうなのだから、むしろ車が水たまり部分を走ってほしい。でも水をはねられそうだし、両側が車を走る真中を歩くのは怖そうなので、やはり提案するのを止めておく。
道路に歩道ができれば万事解決なのだが、今の道幅では無理だ。道の両側はしっかり住宅街なので道を広げるのも難しい。
されば一番手っ取り早い解決法は、今の道を通らないこと。引越ししてしまえばいい。これで狭くて怖い道ともおさらば。少なくともわたしだけには車と歩行者は友達という素敵な世界が訪れるはず。
いや、そうもいかないので、困っているのだが。
宮城県松島町の松島海岸へ行ってきた。
そこで立ち寄った美術館、博物館が面白かったので紹介。
藤田喬平ガラス美術館
Webサイト
松島の主要観光地が集まるエリアからちょっとはずれた場所(でも十分徒歩圏内)にある瀟洒な門構えの美術館。
ガラス美術館というので、観光地に売っているちょっと高級な食器のさらに親玉みたいなのが飾ってあるのだろうと想像していたが、さにあらず。
ガラスが「美術品」になるとはこういうことか、と目を開かされるような美しい展示品の数々が並ぶ。
酒が美味くなりそうなとっくり、ほっとするような明かりのランプ、野菜を模したオブジェなどから何をいれるかわからない大きな蓋つきの器まで種類も豊富。
「何を入れるかわからない」といえば、外国で展示した作品を見て、「これは何を入れる器か」と聞かれ「夢を入れるんです」と答えたという逸話が紹介されている。 この器にいれておけば夢も腐らずいつまでも生き生きしているだろう。
さらに展示方法も凝っている。展示室への入り口が幻想的なトンネル風になっていることをはじめ、 木の枝をからめたオブジェが装飾として展示室のポイントになっていたり、ランプシェードはガラス張りの小部屋にぶら下がっていたりと、 見学者を楽しませる工夫が随所にある。
また、併設する洋風の庭は広く、チャペル風の建物や池などビューポイントには事欠かない。
うれしいのは展示室も含めほとんど全てが写真撮影可というところ。
写真を撮りたい!きれいなガラスも写したい!どんな風に撮るのか考えるのが楽しい!あとで見返すのが旅の醍醐味!という ミーハーな観光客に応えてくれる。
有料の展示室を見終わるとお茶を出してくれる心遣いも素敵だ。それを除いても接客は一流だった。
松島にいくつかある美術館、博物館のなかでも特におすすめ。入館料は1000円と高いがそれだけの価値あり。
秋乃宮博物館
Webサイト
ごく普通の土産物屋の2階という意外な立地の博物館。
当然というか必然というか「博物館」というには狭いのだが、これがなかなか馬鹿にしたものではない。
キャッチフレーズは「大正昭和の玉手箱」。大正から昭和50年代あたりまでの生活用品を色々展示している。
趣味でやっている古物屋と古本屋が合体したような展示で、それだけならざっと流してみて終わりだ。
だが、ここのすごいところは、色々な展示物が触ってもOK、撮影もOKなこと。
さわってきたとも。
欽ちゃんが表紙の『週刊平凡』を立ち読みし、足のついたテレビのチャンネルを回し、レコードの棚に何があるか確かめ、 教師用の巨大木製三角定規の重さに驚き、レバー式のパチンコ台で玉をすっからかんにし、ベーゴマを回すべく努力し、タイプライターをぱちぱちいわせ、 パーマンのヘルメットをかぶって写真を撮った。
驚いたのは人力車(本物)の横に「乗ってもいいです」の張り紙があったこと。おいおい普通「危険ですので触らないで」ではないのか(嬉しそうに)。 残念ながら自分の体重に不安があって乗りはしなかったが、引くまねくらいはしてくればよかった。
この手のものに興味のない人に薦められるわけではないが「大正」「昭和」「レトロ」などのキーワードに反応する方はぜひ。ガラス越しでないリアルな「あの頃の暮らし」と遊べることうけあい。
以上、宮城県松島町のおすすめ博物館2館。
立地や展示などが対象的な2館ながら、共通することは見に来る人が主体的に楽しめること。
写真撮影や展示物に触れることが必ずしもいいことではないし、それが不可能なことも多々ある。
でも「楽しむために働きかける余地がある」というのは、そのものに対する印象を大幅に良くするものだなあと感心した。うちのサイトも見習わないとなあ。サービス精神が足りないよなあ。

2003年6月24日に我が家にやってきた風車の弥七・霞のお新フィギュア(28000円)。時代劇フィギュアの雄アルフレックス製。
これはもう「待ちに待った」という表現がぴったりの一品。
なにせ風車の弥七は幼稚園以来ずっと見つづけている『水戸黄門』の影のヒーローである。弥七は『水戸黄門』のなかでも「特別」なのだ。
さらにその女房であるお新も、色っぽくかつおおらかで優しい素敵な女性。その2人がセットでフィギュアにとなればそれは買うしか!
さて、商品。残念ながら、プロトタイプのほうが似ているように思われる(メーカーの公式BBSでは評判がいいので、これはそれぞれの見方によるのだろう。わたしの弥七夫婦への思い入れが深すぎるせいもあるかもしれない)。
だが、凡百のメーカーが作るよりははるかにいい出来だし、優しげにも厳しげにも見える表情はすばらしい。特にお新の造形はまるで観音か聖母のような深みがある。
そして箱から取り出し、並べる。遊ぶ。……いい。すごくいい。まぎれもなく弥七・お新だ。ちょっと手を動かしたり首を傾けるだけで、人形に血が通う。最初は惜しいと思った顔も気にならない。だって弥七だし。
興が乗って、飾るところがなくてしまってあった他の時代劇フィギュアまで出してきて遊んでしまった。遊ぶほどに楽しみが広がるというのはいいおもちゃの証拠だ。メーカーに「こんな素敵なものをありがとう」と言いたい一品。