いつもどおりの時間に玄関を出たのに、空気にはもう琥珀が薄く薄く溶けていた。
午後2時半の夕暮れの気配。
「10月はたそがれの国」という小説があった。内容も幻想的だが、邦題がまた美しい。
真昼に漂う夕方の影。まさに今は黄昏の季節。
「たそがれ」は「誰そ彼」。「誰だい?あれは?」。薄闇ではっきりと姿が見えない時間だ。
ちょうどそんな時間、外壁に蛾がいた。
急速に寒くなるこの時期に蛾は珍しい。形も少し変わっている。三角の頂点をすっぱり切った形。翅をすこしすぼめたようにとまっているのか。
目を近づけて、確認すると。
無害な生物の中では、わたしの最も苦手とする両生類が、鼻先にあらわれた。
悲鳴と言うよりは奇声をあげて、飛び退る。
問題は。そう、問題は、それがちょうど遊びに来ていた義妹一家をお見送りする時だったということで。
物静かな姉を演じてきたつもりだったのに、台無しになった。
たそがれに対して、「かわたれ」という言葉もある。「彼は誰」。ほの暗い明け方をさすことが多いようだ。
かわたれ時にお茶を淹れる。
枕元においていた湯のみを持ってきて、急須から熱いお茶を注ぐ。この一杯がないと一日が始まらぬ。
その一杯が、みるみるうちにいっぱいになって、湯飲みからあふれ出した。
どうしたことか。頭をクリアにすべく、一口飲んでみる。
ぬるい。
冴えた頭が答えを導き出す。
どうやら、湯飲みには、ゆうべ飲んだ水の残りがまだ入っていたようだ。そこに一杯分のお茶を注げばあふれるは道理。なんと明解。
湯飲みに既に入っていた水に気づかなかったのは暗さのせいにしても、あふれても急須が空になるまで注ぎ続けたことはなんと解釈すればいいのか。それはお茶で目覚めた脳にもわからなかった。お茶が冷たかったから頭脳も働かぬのだ。
それもいい。あれもこれもそれもいい。
だって今は黄昏の国なのだから。10月だからそれもいいのだ。
やがて夕暮れにとってかわる夜が、我が粗忽の痕も覆い隠してくれますように。
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