駅伝のシード校というのは、1区間くらい走らなくてもいいのかと漠然と思っていたが、そんなはずはないと今年になって気付く。
いまさら年末の話題で恐縮だが、思い出したので書いておく。
「今年の漢字」という企画がある。
Wikipediaには、「財団法人日本漢字能力検定協会がその年をイメージする漢字一字の公募を全国より行い、最も応募数の多かった漢字一字を、その年の世相を表す漢字として、12月12日「漢字の日」に清水寺にて発表する行事。」とある。
2006年の漢字は「命」だった。
それを受けてテレビの出演者が自分自身の「今年の漢字」について発表していたので、我が家でもなんとなくその話になる。2006年の自分を表す漢字は何か。
「『差』とかかなあ。ホワイトカラー何とかの話題もあったし」
社会派ぶってみるわたし。エグゼンプションという言葉がとっさに出てこないあたりに限界がにじみでている。
「俺は『猫』だな」
迷いなく言い切る連れあい。そうそう、念願の猫を飼い始めたのは今年だ。わたしも個人的なことで言えば「猫」かもしれない。
と、同意しようとしたとき、義母が連れあいに言った。
「『猫』より『嫁』だべ」
「あっ・・・・・・」←連れあい
「あっ・・・・・・」←その嫁
そうだ。我々が結婚したのも今年だった。アパートから連れあいの実家である田舎の一軒家に移ったので、猫も飼えるようになったわけで。
忘れていた。
もう一方の当事者も忘れていた模様なのでよかった。これでどちらかがしっかりと覚えていたら気まずい。
それが昨年末の話。
つまりわたしが言いたいのは、「ちょっと(?)ドジな新妻」というわたしのスイートなシチュエーションが、もっとまわりに評価されてもいいのではないか ということだ。まるで少女マンガのようだとか、初々しいとか。本人が忘れていてしかもふてぶてしいのではお話にならないということなのか。
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