店先に、「おてんば」とプリントされた子ども用Tシャツがあった。
これはいい。これを着ている子はおてんばなのだとすぐ分かる。最初から分かっていれば、対処もしやすい。子どもの予測もつかない行動に対して備えることが可能だ。
わたしも「うっかり」と大書したシャツを着たらいいのだ。
一目見れば、この人は粗忽者なのだと理解できる。物をこぼしても何もないところでつまずいても文脈にあわないことを口走っても、こういう人なのだと流していただけるかもしれぬ。
ところで、去年、安いことが売りのスーパーでさらに投売りされているTシャツがあった。
これがもう何と言うか、「イケてない」というのか「ダサい」というのか、まったくもって救いようのないセンスのなさ。投売りもむべなるかなと納得するより先に、何故これが発売されてしまったのか理解しかねる代物。
どうせ家でしか着ないし、この値段でこの見た目ならどんなに汚れても惜しくないからと買ってみた。
しかし、自分の気に入らない物を身につけるのは思いのほか心に負担になる。そのシャツを着ていると、むやみと卑屈な気分になってしまい、ワンシーズンも着ないうちに処分した。
洋服というものは、着用者に意外と大きな心的な影響を及ぼすものだと、遅まきながら学んだ。
さすれば、わたしが「うっかり」とプリントされた服を着るのはいかがなものか。
「うっかり」を身につけることで、うっかり者であることに甘んじ、それ以上の向上は望めなくなるのではないか。まわりの人も最初から「この人はうっかりなのだ」という態度で接してくれば、その傾向はますます強くなるに違いない。
ここは、目標の意味でも前向きな言葉を掲げるべきだろう。
協議の結果、今年のわたしのTシャツに書く言葉は、「しっかり」に決まりました。これでわたしもしっかり者。
・・・・・・「しっかり」と書かれたTシャツを着た人が、全然しっかり者には見えないのは何故だろう・・・・・・。
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