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新書版の小説を買った。
最初のページを開いて気づいたが、文章の上下の余白がいやに多い。段組はされていない。
手元にあった同じ出版社の文庫本を並べてみる。
活字の大きさはほぼ同じ。ページ数もあまり変わりない。そして本文が印刷されている範囲も大体重なる。
そして、新書は980円、文庫は680円。
活字離れ・活字不信の原因の一端を見つけたり。
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昼も近い午前。暑さに目を覚ましてもなお眠く、着替えもせず顔も洗わず髪も梳かずぼんやりとしていたら、玄関のチャイムが鳴った。
アスファルト塗装などをしている会社の者だと名乗る客人。
セールスだ。なんと断ろう、と差し出された名刺に目をやりつつ考えると、男はわたしに言った。
「お父さんかお母さんはいらっしゃいますか」
は?父母はいるかとおっしゃるが、わたし自身が人の親でもおかしくない年齢である。
とりあえず、外で仕事ですと答えると、ではまた来ますと客人は去った。
さて。
お父さんかお母さんはいらっしゃいますか、とは。
この家の最高権力者は義母である。そこを理解しての発言だとしたら、父のいない我が家に「お父さん」という選択肢は不適切だ。先ほどのお客様は、我が家の事情を知らないと考えられる。ならば、いい年をしたわたしに家庭内での決定権がないことを見破れるはずがない。
とすれば、さきほどの言葉は、わたしが年若い子どもだと思って発せられたものであろう。なんということだ。小学生のころから社会人に間違えられ続けたわたしが、年齢より若く見られた。
セールスを断るには、子どものふりをすればいい。
先ほどは、日も高いというのにパジャマにぼさぼさ頭だったから、社会性のある大人には見えなかったのだろう。
四六時中寝巻きでいるわけにはいかない。人に見せられる程度に子どもに見える服装が、セールス撃退の鍵と見た。
子どもらしい格好、子どもらしい格好ねえ・・・・・・。
タンクトップに半ズボンに虫取り網とか?
30歳過ぎて家の中で虫取り網。セールスどころか家人まで退散してしまいそうではある。
合歓の葉も閉じた夏の夕闇。庭にしゃがんで物思いにふける。
我々はどこから来たのか。
プゥ~ン プゥ~ン
いつまでここにいるのか。
プゥ~ン プゥ~ン
そしてどこへ行くのか。
プゥ~ン プゥ~ン
プゥ~ンプゥ~ン空を見上げても応えるもプゥ~ンのはなく地プゥ~ンを見据えても慰めるものはなくプゥ~ンプゥ~ンプゥ~ン人は泣きながらこプゥ~ンの 世にプゥ~ン生まれプゥ~ンてくるのだなプゥ~ンプゥ~ンんという孤独プゥ~ンな生プゥ~ン命プゥ~ンプゥ~ンプゥ~ンプゥ~ンプゥ~ン
うおああ!ハエがたかってうるさい!そして臭い!
生ごみを捨てたついでにそのまま物思いにふけるのはやめましょう。生ごみ用ごみ箱の蓋も開けっ放しです。
思索はそれらしい場所で。馬上・床上・厠上とか。でも最後のは生ごみのそばとあまり環境が違わない気はする。
不定期連載 連れあい寝言メモ
「あっ!『カリー&ライス5(ファイブ)』出てる!買う?」
それは食品なのかゲームなのかとても気になる。
夜中に脱走した猫を探しに出かけ、庭の隅で丸まっているところを発見。
近寄り話しかけ撫でてみたら、丸い石だった。
我が家には、メデューサがいるらしい。
猫はしばらくして石化がとけたようで、いつもどおりの顔で戻ってきた。
店先に、「おてんば」とプリントされた子ども用Tシャツがあった。
これはいい。これを着ている子はおてんばなのだとすぐ分かる。最初から分かっていれば、対処もしやすい。子どもの予測もつかない行動に対して備えることが可能だ。
わたしも「うっかり」と大書したシャツを着たらいいのだ。
一目見れば、この人は粗忽者なのだと理解できる。物をこぼしても何もないところでつまずいても文脈にあわないことを口走っても、こういう人なのだと流していただけるかもしれぬ。
ところで、去年、安いことが売りのスーパーでさらに投売りされているTシャツがあった。
これがもう何と言うか、「イケてない」というのか「ダサい」というのか、まったくもって救いようのないセンスのなさ。投売りもむべなるかなと納得するより先に、何故これが発売されてしまったのか理解しかねる代物。
どうせ家でしか着ないし、この値段でこの見た目ならどんなに汚れても惜しくないからと買ってみた。
しかし、自分の気に入らない物を身につけるのは思いのほか心に負担になる。そのシャツを着ていると、むやみと卑屈な気分になってしまい、ワンシーズンも着ないうちに処分した。
洋服というものは、着用者に意外と大きな心的な影響を及ぼすものだと、遅まきながら学んだ。
さすれば、わたしが「うっかり」とプリントされた服を着るのはいかがなものか。
「うっかり」を身につけることで、うっかり者であることに甘んじ、それ以上の向上は望めなくなるのではないか。まわりの人も最初から「この人はうっかりなのだ」という態度で接してくれば、その傾向はますます強くなるに違いない。
ここは、目標の意味でも前向きな言葉を掲げるべきだろう。
協議の結果、今年のわたしのTシャツに書く言葉は、「しっかり」に決まりました。これでわたしもしっかり者。
・・・・・・「しっかり」と書かれたTシャツを着た人が、全然しっかり者には見えないのは何故だろう・・・・・・。
散歩の途中、野原や民家の庭や木々を透かして、遠くに我が家を見つけた。
決して新しいとは言えない家も、遠目には立派で美しい。
と、思ったら、見えていたのは他人の家だった。
さらによく見たら、他人の家の物置だった。
ふるさとはとおきにありておもうもの。そしてかなしくうたうもの。
「○○(歴史上の人物)って、どんな髪型だったんだろ?」
と聞かれた。その人物が何時代の人かわからないので、何とも答えられない。相手はさらに言う。
「○○が出ていたアニメでは、髪を顔の横でふたつにしばってまとめていたんだけど」
「ああ、△△(全然違うアニメの登場人物)みたいに?」
相手がアニメの話をしてきたので、似たような髪のキャラクターを挙げてみる。すると。
「何でそうやってすぐアニメをひきあいに出すかなあ」
呆れた口調で言われた。
なんと理不尽な!
わたしがすぐにひきあいに出すのは、昔の時代劇と昔の刑事ドラマだ。一緒くたにするのは、アニメにもドラマにも失礼だ。ちゃんと区別していただきたい!そもそもそれらは表現技法が違うのみならずその特性上・・・・・・(省略されました)。
平日の昼間ころ、大学の近くを通ったら、講義が終わったらしい学生が何人も歩いていた。
大学生なら一般的に二十歳前後だろう。
それが、皆、若いのだ。ぴちぴちでぴかぴかできらきらなのである。生命力の圧倒的な輝き。若さがまぶしいとはこういうことかと初めて実感した。驚いた。
自分が20歳前後のときは、小中学校・高校の頃と比べて明らかに体力が落ちた、熱病のようなテンションももうない、老けた、と思っていた。
でも、傍から見たら、わたしもまたあの学生たちのように若かったのかもしれない。その当時は気づかなかっただけで。
自分より年下の人があんなにきれいに目に映るようになるのなら、年をとるのも悪くないかもしれぬ。
年齢を重ねるほど周りは光に満ちていく。
では世界中の人がぴちぴちでぴかぴかできらきらに見えるのは何歳くらいかと、長寿の記録を調べてみた。
ギネスブック認定の世界最高齢は、122歳。
・・・・・・少々しんどそうだが、140歳くらいまで何とか生きてみることにする。あと100年ちょっと。ふぁいとー。
最近の日記は連れあいの話が多くて、読んでいらっしゃる方も食傷気味かと思うが、今日も彼の話。
連れあいが、自室の掃除を手伝ってくれと言う。承諾したら、
「じゃあ掃除機を持って」
と命じられる。連れあいの部屋はいったん外に出ないと行くことができない。狭い我が家で一番遠い部屋だ。掃除機は重い。その重い掃除機をわたしに持たせて、連れあいは何を持つのか聞いてみる。
「俺は・・・・・・全責任を持つ!」
「じゃあ掃除機も持って」
自分は手ぶらで行く気らしいので、掃除機についても責任を持ってもらうことにする。
しかし総括責任者は、掃除機を持って三歩歩くや、弱音をはく。「重いよ。手伝ってよ」
そのあまり重きに泣きて三歩歩まずか。仕方なく本体を持つわたし。掃除機のホースのみを持つ連れあい。彼いわく
「二人で持つと、重さも半分だね☆」
半分じゃねえ。
本日の連れあいによるわたしの評価。
「お前は、精神論で物を語らない人だ」
そういう難しい話ではない。