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マスコミをあげてのお祝いムードの中、わたしはある過去を思い出し、暗澹としていた。そう、わたしがマスコミ嫌いになった決定的なあの出来事を。
あの時わたしは『遠山の金さん』を見ていたのだ。高橋英樹版の再放送だった。
悪人の暗躍とそれに巻き込まれる善良な人々。ある人は殺され、ある人は無実の罪を着せられる。
クライマックス、生き残った娘が悪人の手にかかろうとしたその時、颯爽と現れる遊び人の金さん。桜吹雪を肩に舞わせ、襲い掛かる敵を次々と倒していく。騒ぎに気付いた奉行所の役人が来るのを見届け、金さんは姿を消す。
次の場面はお白州である。奉行の前には悪人と善人が勢ぞろい。これから裁きが始まる。
『遠山の金さん』を知らない方に予め説明しておくと、実は善方に何かと力を貸していた「遊び人の金さん」の正体は、今まさに悪人を裁かんとしてる町奉行、遠山景元である。
白州に出ている悪人善人とも何故かそれには気付いていない。故に悪人は奉行の尋問に対してしらばくれる。自分たちの悪事を知っているのは今同じ白州にいる被害者と、どこの誰とも知れない「遊び人の金さん」だけなのだから。
「お奉行様、それは言いがかりでございますよ」
「大体そんな卑しい生まれの娘(被害者)の言うことを信用なさるんでございますか」
「証人だという金さんとかいう男もどこの馬の骨だか」
「金さんとかいう男が本当にいるのなら、ここに連れて来てください」
「そうだ、金さんをだせ!」
「金さんをだせ!」
再び解説になるが『遠山の金さん』の最高の見せ場はここである。決定的な証人がいないことを盾に好き勝手なことを言う悪役と、唇をかんでなすすべもない 被害者。悪人のふてぶてしさと被害者の絶望と視聴者の悪人への怒りが最高潮に達したとき、白州の上の奉行の口調が変わる。「おいおい、てめえら」と。
「黙って聞いていりゃ好き勝手言いやがって。金さんを出せだあ?そんなに会いたきゃ会わせてやろう。花のお江戸のど真ん中、見事に咲いた夜桜を見忘れたとは言わせねえぜ!」
奉行が片肌を脱ぐ。その肩には遊び人の金さんと同じ彫り物が!
なんとお奉行様と金さんは同一人物だった!観念する悪人。被害者の顔が驚きながらも輝く。
視聴者も大満足。この場面を見るためにこの数十分をすごしていたといっても過言ではないから。
さて、話をわたしが見ていた『遠山の金さん』に戻す。
お白州。とぼける悪人たち。遠山様の口調が変わるのを今か今かと待つわたし。
そこで。場面が変わった。
「○○さまが出て来られました!」
時代劇にはそぐわない、現代の病院の入り口。天上人に嫁いだ女性が、先ごろ生まれた自分の子供を抱いて出てきた場面だった。
あれ、リモコンのボタン押してしまったかな。チャンネルが変わってしまったようだ。わたしは慌てて『金さん』を放送しているチャンネルに戻そうとする。
しかし、どこにも金さんの姿はない。放映終了には早すぎる。新聞を見て放送局を確認してそのチャンネルにあわせる。映っているのはあの病院。
「○○さまが出て来られました!お健やかなご様子です!」
やっと、わたしは理解した。
このニュースは『遠山の金さん』を中止して流されている。まさに「中止」。『金さん』を途中で止めて、このニュースを。
怒った。わたしは本当に怒った。金さんが、遠山様が、正体を明かす場面の、そのカタルシスを奪われた。そのための数十分が否定された。踏みにじられた。完膚なきまでに。
開放されなかったカタルシスはルサンチマンとなり、その日からわたしはマスコミが大嫌いになった。
と、これが十数年前の話。
ここ二日くらいのマスコミのはしゃぎようは、この出来事を思い起こさせる。だからわたしは少し嫌な気分になるのだ。
昨日再放送の時代劇が特別番組でつぶれたのは怒ってはいない。最初からないのなら諦められる。慶事だから後味も悪くない。
しかし、あの出来事は。あれだけは。
まあ、十数年前の時代劇に関する恨みをいまだに引きずって、千文字以上もそれについて記述するわたしのほうがマスコミよりよほど痛いことはわかっているのだが。
というかほとんど『遠山の金さん』の説明じゃん。ウィキペディアでも引用して短くまとめろよ、と理性の声がいうけど、ええと、ほら、せっかく書いたから。
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今日の『水戸黄門』。
番組冒頭で顔を合わせて以来、悪人たちと接点がなかった黄門様。クライマックスで悪人の本拠地に乗り込んだとき言われた言葉が
「あ!お前は浜でいわしを食っていたじじい!」
今回の悪人の中でご隠居はエキストラ的扱いだったのだなあ。
ちなみにこの後黄門様はこんな語りだしで悪役たちの悪事を暴露する。
「鰯を食べていたら、鰯が私に話しかけてきましてな・・・・・・」
情報提供者の秘匿のためなのだが、事情を知らない人がここだけ聞いたらちょっとびっくりするね。
実家の母と電話で話す。
母「ちゃんとお義母さんのお手伝いしてる?」
アマモリ「とりあえず夕食だけはつくっているよ」
母「あんたが夕食つくるの?連れあいさんの分と二人分?」
アマモリ「いや、お義母さんの分と三人分」
母「えー?!お義母さん、あんたのつくった食事食べてるの?!可哀想ねー」
後日、義母と母が電話で会談。
母「お義母さん、うちの娘が作った夕食を召し上がっているんですって?」
義母「ええ」
母「お義母さん、勇気ありますね~」
母よ、ちょっと慎んでください。
昼食を食べていたら天から啓示をうけたかのように思いついた。
熟睡するという意味の「ぐっすり」は「good sleep」ではないか。
これはすごい発想では。大発見かもとインターネットで検索。
結果:
どうやら違うらしい。
上リンク(他いくつかのサイト)によると「ぐっすり」という言葉は鎖国時代の書物に既につかわれているとのこと。残念、違ったか。
さらに
>「ぐっすり」は「good sleep」からきたと考える説が最も多く
大発見というには一般的すぎる思いつきだった。
よく考えたら努力しない人間にはできないからこそ「大発見」は讃えられるのだ。ぐうたら者のわたしが「大発見」など百年早い。百年経ってもわたしはぐうたらしている気はするがそれはまた別の話。
ごみの日が過ぎるととたんにゴミ箱が一杯になるのはなんでだろう。
答え:出し忘れ。
それはそれとして。
新しく出来るスーパーの建設現場を見ながら歩道を行く。いつオープンなのかとか請け負い業者はとか気にして余所見をしていたため、ごつん!と正面衝突。
「あ!すみません!」
謝ったその先には電信柱さんが。
二重に恥ずかしい。
大体ここは素敵な紳士とぶつかって恋が芽生えるべき場面ではないのか、という不満がさらに恥ずかしい。そういえばこの前散歩していたら帽子が風に飛ばさ れたのだけど、ダンディな紳士が「落し物ですよ、お嬢さん」と拾ってくれることはなかった。やはり少女マンガワールドを発現させるには既婚では駄目なの か。それとも帽子の色が黒だったのがまずかったか。麦わらか白くてリボンのついた帽子なら紳士ホイホイになったのではないか。そもそも(以下埒もない妄 想)
連れあいが布団をはだけて寝ていたので、肩が冷えないように布団をかけなおす。
その2分後くらいに連れあいが言う。「ありがとう」。
あ、布団のことか。でもちょっとタイミングがおかしいので、「何のこと?」と聞いてみた。
連れあいの答え
「ありがとう。・・・・・・ヘブライ語を訳してくれて」
また寝言か。いい加減にしろよ。いや、そんなことより夢の中のわたしすごい。
履いているサンダルに石が入ったときの取り出し方。
一般的なやり方:腰を折りまげてサンダルを脱ぎ、手でサンダルを斜めにして振って排出。
やんごとなきお方:おつきの者がひざまずいてサンダルを脱がし、石を取り出す。本人の素足はお供の折ったひざの上で休ませる。
わたしのやり方:立ったままサンダルを脱ぎ、足の指でサンダルをつまんで振って地面に戻し、また履く。別に腰が悪いわけではない。
わたしにも「おしとやか」と言われた時代があったのだが。
飼い猫の血統書が届いた。
血統書には猫の名前が記載されている。これは飼い主がつけた名前ではなく、その猫のブリーダーがつけた名らしい。
で、我が家の猫にブリーダーさんがつけていた名前は。
Amigo
お前、「アミーゴ」だったのかあ!!(猫を高々と抱き上げながら)
兄弟猫は「アポロ」とか「アンジェラ」なんだけどなあ。なんでアミーゴ・・・・・・?
水洗いしたうどんの水気をざるできっていたとき、ついざるを流し台から出してしまった。
ぽたぽたと床に落ちる水滴。おっと、拭かないと。
足元にあった雑巾を取り、腰を折って板の間を拭く。
ざるを、手に持ったまま。
掃除するその横に落ちて床を汚す新たな雫。それを拭く。さらにその横にまた水が滴る。
えーと。まずざるを置きましょう。
連れあいが、最近飼い猫の奇行が目立つ、とこぼす。
確かに隣の部屋から居間に走りこんできて網戸にとびかかるようなことはある。しかし猫は人間とは種が違う生き物、我々には理解できないこともあろう。何がそんなに心配なのか。
「今朝起きたらね、俺の足の裏にご飯つぶが2粒も付いていたの。きっと猫が寝ている間にえいってこすりつけていったに違いないよ」
濡れ衣を着せられてかわいそうね、と今日の猫のえさは少し多め。