×[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
本日の日記には、グロテスクな表現が含まれています。
ポストを開けると入っている。
カミソリが。
暗く空ろな紅の中に横たわっている。
昨日も入っていた。
一昨日も入っていた。
明日も入っているだろう。
明後日も入っているに違いない。
何をどれほど裂いたのか、刃も持ち手もすべてが赤黒く染まっているカミソリが。
ポストにはいつも手紙のかわりのようにカミソリが入っている。
畑で目印にするテープやキュウリをからませるためのネットなど、庭仕事で何かを切らなくてはならない用事は意外とあるらしい。そのために義母は家のポス トにカミソリを常備している。しかしこれが散々使い込んだものですっかり赤茶色に錆び付いている。ちゃんと切れるのかどうか疑問だ。
郵便物が届いていないか確認しようとポストを開けると、いつもカミソリが。手紙にカミソリを仕込むのは古典的な嫌がらせだが、ポストに直接安全カミソリが入っているのは新しいかもしれない。いや、嫌がらせで置いてあるのではないのだけど。
ところで「嫌がらせ」でぱっと思いつくのは「トウシューズに画鋲」だよね、やっぱり。「必要な食材を買占め」と双璧をなすと思うのだがどうか。
PR
本日の日記には、グロテスクな表現が含まれています。
ポストを開けると入っている。
カミソリが。
暗く空ろな紅の中に横たわっている。
昨日も入っていた。
一昨日も入っていた。
明日も入っているだろう。
明後日も入っているに違いない。
何をどれほど裂いたのか、刃も持ち手もすべてが赤黒く染まっているカミソリが。
ポストにはいつも手紙のかわりのようにカミソリが入っている。
畑で目印にするテープやキュウリをからませるためのネットなど、庭仕事で何かを切らなくてはならない用事は意外とあるらしい。そのために義母は家のポス トにカミソリを常備している。しかしこれが散々使い込んだものですっかり赤茶色に錆び付いている。ちゃんと切れるのかどうか疑問だ。
郵便物が届いていないか確認しようとポストを開けると、いつもカミソリが。手紙にカミソリを仕込むのは古典的な嫌がらせだが、ポストに直接安全カミソリが入っているのは新しいかもしれない。いや、嫌がらせで置いてあるのではないのだけど。
ところで「嫌がらせ」でぱっと思いつくのは「トウシューズに画鋲」だよね、やっぱり。「必要な食材を買占め」と双璧をなすと思うのだがどうか。
| ■2009/07/30 (木) 天然自然の叙述トリック |
「
der Gegenwart」Rusicaさんの
雑記帳より。
>女性だと思われていた模様。前も何か勘違いされたことあったな。
自分もRusicaさんは女性だと思っていた。というよりは、漠然と男性だろうと思いつつ読んでいたあるとき、女性だったとびっくりして認識を改めた覚えがある。間違いを正したつもりが大間違いだったとは恥ずかしい限り。
書いている方の性別がどうであれ記事の価値がかわるわけではないが、後学のためにどんな表現で誤解してしまったのか探そうとした。記事の数が膨大で速や かにあきらめた。ご本人は何の他意もなく書かれたことを、先入観でおかしな方向に読み解いて勘違いしたであろうことは容易に想像できる。
推理小説では、読者がこういった読み違いをするよう、故意に誘導したりする。叙述トリックというやつだ。登場人物の性別を誤認させる作品も多い。自信はないがこのわたしでも3作品は知っているから多いはずだ。
小説家になる気はないし、絶対になれないが、叙述トリックは使ってみたい。とりあえず自分の日常を性別に関する情報を交えずに書くところから始めてみる。
「勤めていた会社を退職してから、すっかり田舎にひきこもるようになった。ひがな一日歩けば床の沈むような古い家に居て、犬の散歩くらいしか外にでること がない。夕方の時代劇の再放送を観るのが楽しみだ。土地柄、夏は草刈、冬は雪かきが欠かせないが、最近は腰がつらくなってきた。」
おや。ニュートラルな文章を書いて、そこから読者をミスリードする表現を加えようとしたのに、既に。
既に「定年退職後の生活」と解釈されそうな。
はからずも生活における若さの欠如が露呈したので、ちょっと反省会をしてくる。叙述トリックはまた今度。
ださい
です
ひどいことを言うものだ。
平成の世にあっていまだ仲間同士あだ名で呼び合う刑事ドラマを観シールつきのチョコレートをいそいそと買うわたしとて自分なりの美学がある。それを「ださい」と切って捨てるのは自由だが、切られても斬られても譲れないものが人間にはあるのだ。
憤慨しつつ四つ折にしていた新聞を開く。
全面広告
「ごめんください
(会社名)です」
だっせえ勘違いをしてしまったことに赤面した。「譲れないもの」が古いドラマやおもちゃへの愛情であることもよくよく省みれば恥ずかしい。そもそも西暦 2009年、不惑に届こうかという年齢で「ださい」なる言葉を使うのも相当恥ずべき言語感覚である。恥の多い人生を送ってまいります。現在進行形で。
「いろは~」
去年の夏、暑さに参ってあまり楽しくない南国気分になって「アロハ~」とあちこちで挨拶をしていたのだが、どうにも日本情緒が足りないので考え出したの が冒頭の挨拶である。「アロハ」が愛なら、侘び寂びの「いろは」を流行らせる!と身内相手にしばらく使っていたが、誰にも浸透せずに秋が来て飽きがきた。
こんなのが少しでも誰かの記憶に留まったら、めぐりくる夏の度にわたしは社会生命を絶たれていただろう。よかった。周りの人たちが分別のある人ばかりで本当によかった。
問題はわたし自身がこんなことを考えていた夏を忘れられず、あまつさえ本日日記に書いてしまっていることだが、記録によって供養される恥もあると信じて記す。今ここにひとつの過去が葬られました。合掌。
休日に競馬場に行ってみた。こういうところに対するわたしのイメージは70年代ドラマで止まっている。階段状の狭い座席に帽子で紺のジャンバーの年配の男性を中心とした阿鼻叫喚の群生、そんな場所だと思っていた。
ところが実際に訪れたところ、広々とした前庭、掃除の行き届いた建物、意外や多い家族連れ、遊具の豊富な公園、みはるかす先より駆けてくる馬、どれもこ れも予想外だった。もう70年代ではないのだ。21世紀を甘く見ていた。重たそうな馬が軽やかに走るさまは美しかったし、併設の屋台は値段は手ごろで美味 だった。ピンポン玉より大きいシューマイ、串が折れそうな重さのジャンボ焼き鳥、おいしゅうございました。飲食コーナーではお茶が飲み放題なのもすばらし い。馬券は買わなかったが十分楽しめた。
そんな競馬場に通うのを趣味としていたある男性との一問一答。
「競馬ねえ……。以前はよく行ったけど、今はやめた」
そうなのですか。何となく足が遠のいたのですか。
「いや、あれさ、太るじゃん?」
は?競馬で太りますか。ずっと座って馬を見ているから?
「ひとつレースが終わると休憩があるでしょ。暇だからジャンボ焼き鳥食べるでしょ」
あの150グラムはありそうなあれですか。
「で次のレースが始まって終わるでしょ。焼き鳥食うでしょ」
はあ。
「第三レースが終わって、焼き鳥でしょ。もうおなかいっぱいでさ、帰ろうって思ってさ」
え。
「太るんだよなあ。競馬」
それは競馬のせいではないと予想します。
7月14日の日記にシール付きチョコレートを60個まとめ買いしたと書いたが、一週間たたずに全部なくなった。恐ろしい。七日間であの甘ったるいものを60個。
さすがに一人ですべて食べきることにはどうしても抵抗があり、家族のお茶請けに供した。趣味関係では一通りの恥ずかしい思いをしてきたが、義母に「集め てますのでチョコを食べたらシールはください、是非ください」とお願いするのは今までにない羞恥であった。本来なら、一人で食べることよりも姻戚にそんな 頼み事をするほうに抵抗を感じるべきであろう。
肝心のシールは全部で40数種類あるはずが、30種類しか集められなかった。まあ欲しい種類だけ手に入ればコンプリートにはこだわらないし。
そんなわけで、さきほどもう一箱(30個入り)追加注文してきた。
え?だって欲しいシールの全部が出たわけではないから。オークションでシールのみ単品買い?それではお菓子が食べられないではないか。
余談だが、今まで集めたシールをまとめたファイルを連れあいに見せたときの彼の感想はたった一言。「ばっかじゃないの」。
全面的に同意だ。
乱雑な机のまわりに派手にお茶をこぼした。タオルで復旧作業に努めたが、湯飲みに入っていた量に比してタオルの濡れ方が足りない気がしてならない。どこ かに水溜りができていて、そこで新たな生命が誕生したらどうしよう。創造主として君臨すべきだろうか。崇められてもいいことはなさそうだが。
夕方、どこかでかすかに目覚まし時計が鳴っているような音がした。さして広くもない家を探し回るがどの部屋も静かである。空耳と納得したとき、ひときわ近くで音が。
外でひぐらしが鳴く声だった。
散歩の途中、腕に虫が這うような感触があった。確認するが何もない。
ちょうどそういった知覚異常があらわれる病気があるらしい。病気は嫌だなあ。だからといって超常現象も少々手に余る。昔うっかり観てしまったホラー映画 が、透明なヨクワカラナイモノがじわじわと人間にとりついたり喰ったりする物語だった。怖いものが苦手な自分が何故あれを最後まで鑑賞したのか理解に苦し む。しかも人類滅亡のバッドエンドだった。この後味の悪さをどうしてくれる。
それはさておき、症状でも悪霊でもないのなら(そうでないと信じたい)、この腕を撫でるさわさわとした感覚は何か。
顔を寄せる。目をこらす。風が一陣。きらりと腕で光るもの。
蜘蛛の巣が引っかかっていた。
非常に汚い話なので、苦手な方は読み飛ばすことをおすすめします。
散歩していたら、ぱしゃん!という衝撃の後、服のあちこちが汚れていた。鳥に糞をひっかけられたようだ。
めったにないことに遭遇するのは吉兆ではなかろうか。家に帰るなり昨日発表の宝くじの番号を確認する。かすりもしていなかった。
しょんぼりとしてTシャツを洗う。よりによってヤマブドウかなにかのなれの果てのようで、明色のシャツに紫の染みがぼつぼつとついてとれやしない。もう着られないだろう。
冷静に考えると、ウンがつく、すなわち「運がつく」で縁起がいいのは夢占いの話だった。現実で実際にウンがついてしまうのは、それだけで不運というに足りる。
されど禍福はあざなえる縄の如しというから、次はいいことがあるはずだ。糞を落とした烏をののしりもしないわたしの人柄を声のいい紳士が見初めてメール交換が始まるとか、明色に紫の水玉模様のシャツが流行るとか。
既にひとつだけいいことがあった。日記のねたがひとつできたこと。それをこうして書けたこと。うん、まあ、良しとしようか。