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家人が突然「この世には平行四辺形のものと平行四辺形ではないものしかないんだよ」と言い出したことがある。何の脈絡もない発言であり、何を煙に巻きたかったのか今もって不明だ。
自分を他人を物を現象をあらゆる事象ををカテゴライズしたがる人は絶えない。
何かに所属させていれば対象物を理解できる気がするし、何かに帰属していればそれはとても安心なことだ。
混沌とした不安定なものは、なかなかに恐ろしく耐え難い。
我らは分類し、所属し、帰属する。
ここまで前置き。ここから本題。
「切手を封筒に貼ろうとしたのに、なぜか表側を濡らしてしまい、全然くっつかなくて慌てたことがある」グループの皆さん、今日からわたしもあなたたちの仲間です。よろしくね!
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片方だけ目をつぶることができない。
ウインクは特別な訓練をした者のみが可能な特殊技術だと思って二十歳過ぎまで生きてきた。しかしその後、友人複数に「え?簡単だよ」と実演され、家人に 「そんなこともできないのか」と馬鹿にされ、何かの本で「片目だけをつぶるという、そんな簡単なことさえ難しい人もいる」という記述を読むにいたって、ど うやら自分は少数派らしいと自覚することになる。
片目を閉じることで誰かに合図を送ったり誘惑したりする機会はなかったし、不便なのは望遠鏡をのぞくときくらいなので、こんなことはコンプレックスにもならない。
散歩道はすっかり実りの秋。
散歩後の犬の毛並みには、植物の種があちこちについている。そのままにしていてもなかなかとれないので、ブラッシングをしなくてはならない。
胴体にも点々。櫛をいれて抜け毛と一緒に取り除く。
頭から藪に突っ込んでいくものだから、頭にも点々。鼻や目を傷つけないように丁寧に整える。目を閉じて気持ちよさそうな犬。
そんなふうに目の付近をブラッシングしているとき、よくよく犬を観察したら、櫛が届いていないほうの目だけ開いてこちらを見ていた。
お前もか。お前も出来るのか。
片目だけを閉じることができないなど、不便なのは望遠鏡をのぞくときくらいなので、コンプレックスにもならないと。そう思っていたが。
犬でも出来るとなると。
これは。
時は秋。見上げれど見渡せど秋。
光はやわらかく。静かな午前。家人は出払い。
こんな日は。
こんな日は、そう。庭でおもちゃの写真撮影をしよう。
そうと決めたら準備だ。
まず被写体であるおもちゃ。今日は先日買ったばかりのニューカマーにお出まし願おう。はじめてのさつえい。胸が高鳴る。
表情やポーズを変えるための交換用パーツも必要だ。これがあるとないとでは表現の幅がぜんぜん違う。写真の腕が悪い分は道具でカバーしなくては。
もちろんメインの被写体以外の撮影用小物も忘れない。おもちゃの手前にちょっと写りこませることで写真に奥行きが出る。
おもちゃを立たせるためのスタンドも必須だ。
細かい部品が多いので小分けにして肩掛けかばんに入れる。
服装はちょうど庭仕事のあとで作業着なのでちょうどいい。このまま行くことにしよう。野外における小物の撮影は、膝をついたり肘をついたり壁によりかかったりで意外と服が汚れるのだ。
露出している肌には虫除けをスプレー。いつかのように顔に直接かけるような愚はおかさない。
自宅の庭に出るだけとは思えない格好になったがどれも必要不可欠なのだ。仕方がない。
庭の目立たないところに小物を並べて、スタンドが目立たないようにおもちゃもセット。気分は写真家。オーケーオーケーいい表情だいい光だいい気分だ。傑作が撮れそうな予感がする。いざいざいざいざいざ撮らむ。
あ。
カメラ忘れてきた。
「あんざん」の文字のまわりに子供が描かれている看板があった。安産祈願か産婦人科か。
はてこのあたりにお産の神様をまつっている神社があったろうか。それとも最近の少子化を憂いて新しく建立されたのか。やはり産婦人科の線が濃厚だろうか。
考えながらよくよく確認したら、「あんざん」の前に「そろばん」と。
ああ。憂いたのは少子化ではなく学力でしたか。そうですね、昨今は思い込みばかりで他の可能性に思い至らない頭の固い人が多うございますからね。
最近立て続けでうんざりなさっているかもしれないが、いつもの連れあい寝言メモ。
読むほうが飽きるほどこのネタが多いということは、聞かされる側はそれだけ夜中に起こされているということで、ご容赦いただきたい。
わたしの腕をぺちぺちと叩きながらの寝言。
「(歌)二の腕よ~あなたの二の腕よ~♪
二の腕に2の字を書けば、二の腕Part2のできあがり~♪」
何がしたいのだ。
パート2なんかつくらなくても、多くの場合、二の腕は右と左あわせてふたつあるではないか。三つも四つも二の腕はいらない。
さらに、叩かれている自分の腕がたぷたぷであることに気づいてすごく傷ついた。もう嫌だ。寝る。
家人がちょっとした失敗をしたので、「そんな間違い、わたしですらしたことがない」とからかったら、何故か自分が傷ついた。
一度ならずこのような結果がでたことは非常に遺憾であると言わざるを得ません。
しかしながら、わたくしは清く正しき生活者であり、お疑いのような事実は一切ないと誓って申し上げる次第です。
以上、朝自分が起きると、空気清浄機がなにかを感知して作動しだす件についてのアマモリ氏のコメントでした。
遅刻しそうなときに食パンを口にくわえて走ると、角を曲がったときに運命の人と衝突することができるらしい。非常に低い確率ではあるが、古くからの伝承なので信憑性はないとはいえないといえるんじゃないかな、と推察する。
運命の人との邂逅。ロマンがあるではないか。
ところで、食パンはそのまま食べるべきではない。あれはサンドイッチかトーストにしてこそ真価を発揮するのだ。味覚的に。
しかしサンドイッチを歩きながら、かつハンズフリーで食すのは、非常に困難である。ぼろぼろと具が落ちるのだ。二枚のパンではさむのではなく、一枚のパ ンを折って中身がこぼれない辺をつくっても、少し体を傾けただけで横からこぼれるのである。あ、べ、別に実体験じゃないんだからね!地面に落ちた具は後刻 犬が食べていた。
口にくわえて走行するのならば、トーストにするのが賢明だ。トーストも素のままでは食べづらいので、バターをぬるのがよろしい。バターの有無が運命の人 との遭遇率に影響を及ぼすかは調査結果がないので不明だ。されど、目的が明確でもその手段(食パン)をきちんとおいしくいただくのは趣味人のたしなみであ る。
そんな思考過程を経て、バタートーストを口にくわえてみた。
意外なことにこれが難しい。
落ちないように歯をくいしばることになる。歯がむき出しで形相は必死なので見苦しい。
唇の力だけで支えようとするのもコツがいる。何よりバターが邪魔になる。口のまわりがバターで汚れてしまうのだ。運命の人の発見に成功した際に顔が乳脂肪まみれなのは避けたいではないか。
バターをオミットするのは、トーストがおいしくいただけないので論外だ。
なるほど、これはトーストによる運命の人召還術の成功例が少ないのも頷ける。
一見何の努力もしていないようなこの方法は、実際は高度なハンズフリーイーティング技術に裏打ちされたものだった。手をつかってさえ食べ物をこぼす自分にはとても無理だ。
目的地に走って行こうという気概もないし、5分前どころか15分前行動の小心者なので遅刻はめったにしないし、だいたい我が家のまわりをいくら走ったとて、人に会うことそのものがないではないか。あまりに自分に適しない方法を検証してしまった。
物食えど唇寒しまた食らう。
食欲の、秋ですね。
*実験に使用した食パンは、スタッフがおいしくいただきました。
あなたが落としたのは金の斧ですか。それとも銀の斧ですか。
と。女神が出てくるとは木こりは思っていなかっただろう。
ならば、商売道具を池に落としてしまった彼はいかなる心持だったか。
底の見えない水面を呆然と見つめて、術もなく。たつきの道も断たれたように感じられ。
それに比べたら、なんでもない。
落としてしまった味見用の小皿を探して、大鍋いっぱいのシチューをかき混ぜながら、メルヘンの世界に逃避する。そんな夕方。
願わくば、この鍋から金銀二枚の皿を持った女神が出てきませんように。生き物が生きたまま入っていたおかずを、家族に供するわけにはいかないので。
「ちょっと字を間違った」。家人に書いてもらった買い物メモの中の一単語。
「毒茶」
一服するときに一服盛る気だ……!