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日記「明けの日常、宵の日常。」がオープンしました。
作者の個人サイト、「起きて日常、寝て日常。」も同時開設。
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毎年夏になる度に自分のサイトが作りたくなって、作りかけて、放置してをくりかえして3年。
いわば構想3年ともいえる「起きて日常、寝て日常。」開設。
構想3年で、内容は日記だけ。日記の内容も面白くもおかしくもない。
半端で無用な感じがいかにもわたしのサイトらしい。
これも味。無味もまた味でございますよ。
というか、これから初アップ。行ってきます。
できた。何とか見られそう。「見られる」というのは単純に「可能」であってそれ以上ではない。
ひさしぶりに胸がどきどきする。「期待と不安に胸をふくらまして」とはよくある慣用表現だが、まさにそれ。あと、やりなれないことをした興奮と。
この思いがサイトの維持管理につながりますように。いつも初心忘れっぱなしだけど、今度こそ。
いつも歩いてくる道路は、狭くて歩道が無く、車通りが多い。歩行者が車に体をこすりつけんばかりにして歩く部分は、アスファルトが切れて土がむき出しになっている。
普段も怖いが雨の日などはもっと怖い。ただでさえ大き目の体の横幅が傘をさすことでさらに広くなっている。おまけに普段歩くところは水たまりができている始末。
靴が汚れるのと車に轢かれるのとどちらがいいと言われたら、もちろん答えは決まっている。どちらも嫌だ。嫌なのでいつも車が通るアスファルト部分を歩く。突然飛び出したりせず、あらかじめはみ出しておけば、車もあえてそれを轢こうとはしない。
さぞかし邪魔にされていることとは思う。でも水たまりをピチピチジャブジャブランランランして楽しめるような靴を履いていないのだから仕方ない。
水で流せば簡単に泥がとれるのは車のほうなのだから、むしろ車が水たまり部分を走ってほしい。でも水をはねられそうだし、両側が車を走る真中を歩くのは怖そうなので、やはり提案するのを止めておく。
道路に歩道ができれば万事解決なのだが、今の道幅では無理だ。道の両側はしっかり住宅街なので道を広げるのも難しい。
されば一番手っ取り早い解決法は、今の道を通らないこと。引越ししてしまえばいい。これで狭くて怖い道ともおさらば。少なくともわたしだけには車と歩行者は友達という素敵な世界が訪れるはず。
いや、そうもいかないので、困っているのだが。
OSについてくる画像見本の花の写真が、わたしの撮る写真をもっと上手にした感じでなんだか複雑。
無難か、わたしの感性はあくまで無難なのか。
以前は毎日通った道を、今は何週間かに一度くらいしか通らない。
たまに通ると、様子が変わっていて驚いたりする。
どんなありふれた日常も過去になるのだと気づいて、背筋を伸ばして景色を見直す。
カートをひいていくおばあさんもタクシーからおりた背広の人も不動産屋の看板も歴史建造物指定の標識も道路のかすれた白線も閉じたシャッターも青果店の桃のにおいもちゃんと覚えておこうと心を澄ます。
覚えておくことで、過ぎていく日々は安心して過去になれる気がするのだ。
覚えて、何かを受け取って、忘れるあるいは忘れない。
いつもの1日を大事にする。と、言ってしまえばそれだけの話。
横断歩道はあるのになぜ縦断歩道がないのか。
交差点にある互いに直角の関係にあり、かつクロス交差点ではない横断歩道は、ある道Aに対して横断歩道と縦断歩道の関係にある。
ところが、道Aと直角に交わる道Bから見ると、横断歩道と縦断歩道は逆転する。
Aから見た横断歩道はBにとって縦断歩道であり、その逆もしかり。
ゆえにある横断歩道を「横断」「縦断」と区別はしないのだと考える。
一生懸命頭のよさそうなことを書こうとするとこうなるのだが、やはり無理はしないほうがいいように思う。
「ハチロク」と呼ばれている車があるというのは知っていたが、今日「ハチクロ」という言葉を見た。
しまった、また覚え間違い。きっと車の型式に「86」とつくのだと思っていたのに。
と思ったら車は「ハチロク」でいいそうな。
「ハチクロ」はある漫画の略称だそうな。
こんな言葉を使いわける皆さんはすごい。
国政選挙で一番、選挙結果を知るのが遅いのは、誰かというと。
開票作業をしている市町村職員、が多分正解ではないか。
どこがどの程度議席を獲得するかその日の午後8時には大体の予想が報じられる中、彼らは日付が変わってから帰ってきて、口をきく元気もないくらい疲れつつもとにかくテレビを見て趨勢を知るのだろう。明日は月曜で、普通に仕事だけれど。
別にどうということもない、ある仕事の形だが。
お祭り騒ぎの裏方のことをちょっと思い出すのも、また趣ということで。
夢を見た。
山の上に旅館があって、そこでは昼食に桃色と黒の2色のおにぎりを出す。遠くから見ていると、お昼時、旅館のある山の上が、みるみるうちに桃と黒に染まっていく。ああ、やはりあの旅館は人気があるのだな、と思って目が覚める。
ごく馬鹿馬鹿しい夢だが、いちねんせいになって友達が100人できて、
みんなで富士山の上でおにぎりを食べるというイメージはこんな感じだなあ、と思った。
富士山に積もった雪だと見ていたものが、子供たちのおにぎりなんて、なんか壮大になごやかでいい。
ポケットのたくさんある鞄が好きだ。「仕切りがないので、何でも放り込めて便利」というブラックホール型鞄は、よほど気に入らないと使わない。
今一番使用頻度が高い鞄は、前に2つ、後ろに2つ、側面に1つ、中に2つのポケットがあり、ついでに前面にペン挿しまでついている。そして見えるところ についているポケットも、あまり主張してしない。理想的である。「ポケットゲットだぜ!何でも入れろやオラア!」ではなく、あら、ここも物が入れられるの ね、というさりげなさがいいのだ。
鞄を前に、このポケットにはiPod、ここは切符、暇つぶしの雑誌はここにいれて…と想像する。
ポケットへの憧れはそのポケットを使う状況への憧れにほかならない。
そう。想像ではたしかにポケットには夢がつまっているのだが。
現実は多すぎるポケットを使い切れず、結局「仕切りがないところに何でも放り込む」生活。もちろん買ったときに思い描いた理想像などどこにもない。
でもまあ、ポケットが空っぽということはそこに何かが入る余地があるということで。
混沌とした一角と空っぽのポケットを併せ持つバックを肩にかけ、理想と現実のギャップを笑いつつ、いつかこの空白地帯にチケットをいれて旅立つぞ、と思いながら、内容物不在のポケットを励みに暮らすのもまた、一興。
余談。
「ほぼ日手帳」「カバーにポケットがたくさんついている」という一言に釣られて予約してしまった。